Category: 乗り物

◆2010年実績(速報) ※単位:万台 ( )は前年比%
                 トヨタ     ダイハツ     日野      合計
  全世界販売台数    752.8(108)  78.3(104)  10.7(135)  841.8(108)
  国内販売        156.6(114)  60.9(102)   2.9(119)  220.4(110)
  海外販売        596.2(106)  17.5(110)   7.8(142)  621.4(107)

上記の数字は、2010年度のダイハツ日野トラックを含むトヨタ自動車グループの世界販売台数である。何とか3年連続で1位を守ったものの、何と一度破綻した米GMが838万台とその差約3万台と急追しているのだ。前年は30万台以上の差が有ったのだが、中国での販売が29%増と加速し、すぐ後に迫ってきた。驚くべき復元力だが、GMの販売先としても自国を上回り中国が世界1の市場となったのだ。このままでは、トヨタを追い抜いて首位の座を奪還するのは時間の問題である。

更に驚くべき事に、韓国の現代自動車グループが前年比24%増の573万台と一気に109万台も上乗せしたのである。どうやら米フォード・モータースを抜いて5位に浮上した模様である。特にヨーロッパ27カ国では完全にトヨタを引き離したらしい。ひたひたと4位グループの日産・ルノーグループに迫りつつあり、同グループとっては脅威だ。自動車王国のアメリカに抜かれるのはやむを得ないが、韓国メーカーに薄型テレビ同様日本車が叩きのめされるのは観て居れない。それもこれも日本政府の無策に依るところが大きいようだ。

韓国は45カ国とFTA(自由貿易協定)を結んでおり、政府の応援を得て貿易を振興している。それに引き換えわが日本政府は、FTAの交渉も一向に進まず、TPP環太平洋戦略的経済連携協定)にも外国の農産物が大量に入って来るとして、消極的である。TPPを締結すれば間違いなくGDPは1%程度上昇する筈だ。一部の圧力に屈することなく、又「小沢問題」などに踏み止まる事なく、日本の将来に向かって目を見開くべきである!

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                <トヨタの救世主、北米仕様のハイブリットカー『プリウス』>

一昨日、今年の納めとして忘年会を催した。今年お世話になったメーカーさんや商社さんをお招きして総勢23名で、船橋の船着き場から『日之出之屋』さんの「屋形船」で東京湾に繰り出した。「屋形船」の忘年会は、初めての試みだったがお酒は飲み放題でお刺身、ミ二鍋物、テンプラと大いに飲み食い出来て満足行く一時だった。難を言えば、湾に出る際の水門が低い為天井が低く大きい私としては、動きにくかった事と「天気晴朗なれど波高し」で、波が高くて揺れた事である。又、風が強くデズニーランドの花火も中止になってしまったようだ。

「屋形船」は、主に船上で宴会や食事をして楽しむ、屋根と座敷が備えられた和船の一種である。古くは平安時代にさかのぼり、貴族の遊山(ゆさん)用の船、年輸送船や商船などに屋形をつけることが多かったようだ。そのなかには舁据(かきすえ)屋形船とよばれる簡易な屋形もあり、平安以後も用途により絶えることなく続いた。しかし一般に屋形船といえば、江戸時代に豪商たちが花火見物花見月見或いは納涼の為に川面(かわも)に浮かべた豪華な遊覧船をさす。

屋形船、山の這い出る如くなり」と川柳にもあり、船体は金具や漆で飾り、船室の襖絵(ふすまえ)に贅(ぜい)を尽くしたり、芸妓を乗船させて酒宴を開き、ときには屋形船を二艘(そう)つないで、一艘を踊り船とした事もあったらしい。二階建ての「屋形船」もあったらしいが、密室なので時代劇にも、悪代官と悪徳商人の密談の場などとして、しばしば登場するのである。私たち善良な社員一同は、胃袋にたらふく詰め込み乍ゲストの方々とゲームやカラオケに興じて、乗船から約3時間後に無事に元の波止場に降り立ったのであった。 屋形船.JPG 101222_194927.JPG私達が乗った「屋形船」と中の様子〉

11月2日の「山手線超難問クイズ」の答えを発表します。

250px-Shigenobu_Okuma_5.jpegQ-1の答 正解は、(ロ)の西郷隆盛である。西郷は鉄道敷設より軍隊の増強を優先しろと唱えていた。(イ)の井上勝伊藤博文らとイギリスに留学し、鉄道を目の当たりに見て日本でも鉄道が必要と考え鉄道発展に寄与したため、「鉄道の父」と呼ばれた。この銅像は、東京駅丸の内中央口に建てられていたものだが、現在再開発の為撤去されている。板垣退助は、初めて鉄道が運転された時、伊藤博文らと一緒に乗り込んだ1人である。因みに、この時初めて沿道で「日の丸」の旗がふられた。

Q-2の答 正解は、(イ)の1時間以内。正確には、新橋-横浜間を53分で走り抜けた。

Q-3の答 正解は、内回りが上り、外回りが下り。東京駅はどんな場合でもJRでは最も高い位置にあるため、東京から出発する列車は全て下となる。しかしながら、山手線だけは例外で、神田方面から東京に向かう列車を「下り」とした。

Q-4の答 正解は、西日暮里-日暮里間の611m、次いで上野-日暮里間の699m、その次が田端-西日暮里間の731mです。逆に長いのは、田町-品川間の2,242m、次いで品川-大崎間の2,054m、その次が池袋-大塚間の1,873mである。 

Q-5の答 正解は、群馬県の吾妻線(あがつません)が開通した(ロ)の昭和46年からである。(あづません)と呼ばせないため、フリ仮名を振った事を契機に全ての路線でこれを実施した。国鉄当局が「やまてせん」ではなく「やまのてせん」を選択し復活させた理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいことと、根岸線に山手駅(やまてえき 1964年5月開業)が存在していたことによる混同を避けるためである。 

Q-6の答 正解は、「新大久保」・「目白」・「田端」・「鶯谷」の4つ。最も多い駅は「新宿」で①小田急電鉄(小田原線 新宿―小田原) ②京王電鉄(京王線 新宿―八王子) ③東京地下鉄(丸の内線 荻窪―池袋)  ④東京都交通局(新宿線 新宿―本八幡)⑤東京都交通局(大江戸線 都庁前―光が丘)⑥西武鉄道(新宿線 新宿―本川越) の6本。次いで「澁谷」の5本、「池袋」の4本である。

以上、皆さんすこーし利口りなりましたかな?(*^_^*) 350px-First_steam_train_leaving_Yokohama.jpeg

                 【鉄道開設に寄与した大隈重信と当時の事を描いた浮世絵】

山手線新橋~横浜間を一刻でも早く完成させたいために、早稲田大学の創設者で知られる大隈重信は、太政大臣の三条実美と大納言の岩倉具視を説得して鉄道技術団を、明治3年(1870年)にイギリスから招致した。その結果、2年後の明治5年(1872年)の10月14日に新橋から横浜までわが国最初の鉄道が開通したのだ。「なんとしても日本人の手で鉄道を作りたい」と思い続けて、実現させた当時の若ものが、大隈重信と伊藤博文だった。大隈は大蔵省民部省で、今でいえば事務次官のポストに付いていて、大隈のもとで伊藤も大蔵省と民部省で、今でいえば局長のポストにいた。

ここで、≪山手線超難問クイズ≫と行きましょう!

Q-1.当時鉄道敷設に猛反対した人物が居た。それは次の内誰でしょうか?・・・(イ)井上 勝 (ロ)西郷隆盛 (ハ)板垣退助 (写真左から井上・西郷・板垣/クリックすれば大きくなります)

井上.JPG 200px-SaigoTakamori1332.jpg itagaki_taisuke1b2.jpg

Q-2.当時東京~横浜まで徒歩で10時間、人力車でも7時間かかったそうですが、それが鉄道の開設で大幅短縮されたが、どのくらいの時間で走ったでしょうか?三択です。・・・(イ)1時間以内 (ロ)1時間半以内 (ハ)略2時間弱

Q-3.山手線の内回り(反時計回り)・外回り(時計回り)、どちらが下りで、どちらが上り列車でしょうか?

Q-4.駅と駅の距離が最も短い区間はどこですか。また最も長い区間はどこですか?自分の体験からどの駅とどの駅の間か答えてみてください。

Q-5.戦後しばらく山手線は、「やまてせん」と呼ばれていました。「やまのてせん」という読み方を復活させたのは、国鉄が全路線の線路名称にふりがなを付することに起因するそうだ。山手線には「やまてせん」ではなく「やまのてせん」というふりがなを振ったのは何時からでしょう?三択です。・・・(イ)昭和39年 (ロ)昭和46年 (ハ)昭和52年

Q-6.私鉄・公共鉄道が乗り入れていない駅が4つありますが、それはどこですか?又、最も多くの乗り入れている駅は何処で、何本ですか?

答えは、4日(水)のブログで発表しますので、お楽しみに!

上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り、彼女は奇麗なうぐいす芸者(鶯谷)、にっぽり(日暮里)笑ったあのえくぼ、(西日暮里)と濡れてみたいが人の常、田畑(田端)を売っても命懸け、思うはあの娘(コ)の事ばかり。我が胸の内、こまごめ(駒込)と、愛のすがも(巣鴨)へ伝えたい。おおつか(大塚)なビックリ、度胸を定め、彼女に会いに行けぶくろ(池袋)、行けば男がめじろ(目白)押し。そんな女は駄目だよと、たかたの婆(高田馬場)や新大久保のおじさん達の意見でも、しんじゅく(新宿)聞いてはいられません。夜よぎ(代々木)なったら家を出て、腹じゅく(原宿)減ったと、渋や(渋谷)顔。彼女に会えればエビス(恵比寿)顔。親父が生きてて目黒い内(目黒)は私もいくらか豪胆だ(五反田)、おお先(大崎)真っ暗恋の鳥。彼女に贈るプレゼント、どんなしながわ(品川)良いのやら、魂ちぃも(田町)宙に踊るよな、色よい返事をはま待つちょう(浜松町)、そんな事ばかりが心ばし(新橋)で、誰に悩みを言うらくちょう(有楽町)、思った私が素っ頓狂(東京)。何だかんだ(神田)の行き違い、彼女はとうに飽きはばら(秋葉原)、ホントにおかち(御徒町)な事ばかり。やまて(山手線)は消えゆく恋でした。】

・・・これは、「恋の山手線(やまのてせん)」という4代目柳亭痴楽の「痴楽綴方狂室」 の中で最も得意とした落語の一節である。今の若い人には馴染みがないと思うが、この他にも「山手線」を題材としたものに1964年(S.39)、小林旭が歌った【上野オフィスのかわいい娘 声は鶯谷あたり 日暮里笑ったあのえくぼ・・・】云々という同名の「恋の山手線」というコミックソングがある。その「山手線」が環状線として初めて走ったのが、1925年(T.14)の今日なのだ。

220px-JRE-E231-500-for-JRyamanote-line.jpeg現在の路線距離:34.5km 29駅の環状線全てを「山手線」と呼ぶのは、誤りであるいう事を皆さんご存じだろうか?正式には、山手線の起点~終点は(品川駅 - 新宿駅 - 田端駅):20.6km17駅で、東海道本線(東京駅 - 品川駅):6.8km6駅 、東北本線(田端駅 - 東京駅):7.1km 9駅という具合に他の一部の路線を含んでいるのだ。朝晩のピーク時には2、3分おきに運航する、軌間:1067mm 、ピーク混雑時で外回り:205%(上野駅→御徒町)内回り:178%(新大久保駅→新宿駅)という世界に類を見ないこの鉄道路線を、我々日本人は誇りに思っていいかもしれない!

ところで、時効だろうから私が高校時代に「山手線」の中で犯した愚行を恥ずかしながらここで懺悔したいと思う。実は高校時代の仲間数人で、「山手線」の連結部でタバコを吸ったことがあるのだ。決して私たちは、不良仲間ではなかったが、当時粋がってついやってしまったのだ。若気の至りと言うやつで、この告白で将来とも叙勲の機会を失った事であろう!(*^_^*)ついでに明日は、この「山手線に関するクイズを出題したいと思いますので、お楽しみに!

ueno-1st.jpeg                       <1932年 (S.7)頃の上野駅>