Category: 歌
金曜日ワイフと≪さだまさしコンサートツアー2011≫を有楽町の東京国際フォーラムに観に行った。コンサートが開催された「ホールA」は、2層構造をもつ劇場形式で舞台面は4階部分になるそうだ。天井部分が8階に相当する大ホールで、座席数は世界でも有数の5,012席だそうだ。8か国語同時通訳システムを備え、国際会議や各種大会などあらゆる大規模催事に対応でき、AVネットワークを使った会場間の生中継によって、複数の会場を利用した一体感のある催事も可能なこのホールに満員の観客が詰めかけた。
必ずしも私は≪さだまさし≫のファンと言う訳ではないが、このコンサートを観に行くきっかけとなったのは、7月4日に観た『加山雄三コンサート』にゲスト出演していたさだまさしのトークが面白かったからだ。若者に人気のグループ"ゆず"等と一緒に出ていたが、短い出演時間にも拘わらず彼の喋りはメインの加山を喰っていた感が有る。噂に聞いていたが、幅広い話題で3時間ぶっ通しのコンサートは、概ね3分の2のトークで駆け抜けて行った。さだが好んで行う2,3曲歌ってトークを挟むという技法は何時も通りだそうだが、今回はその話題の半分以上が、「東日本大震災」後の被災地における支援活動を熱く語ることで終始した。
<さだまさしが歌った曲目/写真をクリックしてみて下さい>
彼の本名は佐田雅志と言い、長崎県で生まれた。裕福な家庭で育ち、3歳よりヴァイオリンを習い始めて毎日学生音楽コンクール西部地区大会で入賞するなどの上達ぶりを見せるが、1957年の諫早の大水害によって材木商だった父の事業は失敗し一家は豪邸を失い小さな長屋住まいとなったそうだ。国学院大学を中退、肝炎を患って長崎に戻った後、二人組のフォークグループ・グレープでデビューし、「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになった。ソロシンガーになってからも「雨やどり」、「関白宣言」、「親父の一番長い日」、ドラマの主題歌である「北の国から〜遥かなる大地より〜」など数々のヒット曲を生み出してきた。
「加山雄三」や「サイモンとガーファンクル」に影響を受けたと言う彼の曲調や歌詞は、物悲しいものから朗々と歌い上げるものまでクラシック音楽の技法を取り込み、聞く人々に感動と勇気を与えているように思う。但し、初めてのコンサートとて3時間ぶっ通しとは知らなかったので、アンコールの歌が始まる頃には缶ビールを飲んでいたせいでトイレに行きたくなり、気が気ではなかった。次に≪さだまさしコンサート≫に行く際は、水分を余り摂取せず臨まなければならない事を学んだ一日だった。
2011年3月28日(月) ≪港町ブルース≫
(1) 背のびして見る 海峡を
今日も汽笛が 遠ざかる
あなたにあげた 夜をかえして
港 港 函館 通り雨
(2) 流す涙で 割る酒は
だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら
港 宮古 釜石 気仙沼
この歌は、今から42年前に雑誌『平凡』が募集した歌詞(深津武志作詞)に、なかにし礼が補作、猪俣公章が作曲し、森進一が歌って大ヒットした演歌曲である。歌詞は6番まで有るが、北海道函館を皮切りとして、九州鹿児島まで日本列島を南下するように多くの港町が登場する。所謂『ご当地ソング』というやつだが、歌に出て来る町々の殆どに「港町」という地名が実際に存在するそうだ。2番の歌詞にご覧の通り、今回の大震災で起きた津波に依って壊滅的な被害を受けた岩手県の宮古、釜石、宮城県の気仙沼が出て来る。
三つの「港町」は、複雑に入り組んだ入江、所謂リアス式海岸という風光明媚な地形に位置する良港で、マグロやカツオ、サンマなどの魚やワカメなど沢山取れるところで有名だ。宮古市は人口約59,000人の都市で、市の花は「ハマギク」である。古い話だが、1960年前後の『大いなる旅路』(三國連太郎・高倉健主演)や『喜びも悲しみも幾歳月』(佐田啓二・高峰秀子主演)のロケ地だったと聞いている。釜石市は、人口約39,000人程で県の花は「はまゆう」、近代製鉄所発祥の地で新日鉄釜石製鐵所がある。当地の高さ48.5mの"慈母観音"は、子供ではなく「サケ」を抱いている事で有名だ。
気仙沼市は宮城県北東端の漁港で、人口約73,000人超、市の花が「ヤマツツジ」だ。水産業と観光が主な産業で、海産物の水揚げ量は全国有数だが特に「フカヒレ」の水揚げ量は、全国一である。東北地方太平洋側は、南に下るに従って海抜が低くなっているため、被害も比例して大きくなった模様だ。今、歌詞の内容から酒を飲んだうえで歌い辛い歌が有る。サザンオールスターズの"TSUNAMI"とこの≪港町ブルース≫だ。日本国民が、これらの歌を花咲くころに大きな声で歌えるよう、被災地の1日も早い復興を切に願っている!
<写真は昭和45年(1970)4月、釜石市の明峰山石応禅寺に建立された『釜石大観音』>
世の中アップルの「ipad」の国内発売の話題で持ち切りだが、私は漸く以前から欲しかった「アイポッド ナノ(ipodnano)」を手に入れた。「アイポッド」は、アップルのフラッシュメモリを内蔵したデジタルオーディオプレーヤーである。自分ではよく解らないので、我が社の女性スタッフにお願いしてビッグカメラで買って来て貰った。腕に巻くウオーキング用のホルダーやイヤホーンを含め、約2万5千円程の買い物である。いつも電車の中で若い人たちが聞いている姿を横目にしていたが、恥ずかしながら?小生もウォーキングの際に好きな音楽を聞きたくて買ったのである。
嬉しい事に、クラシックや「懐かしのオールディーズ」或いは日本の今風の音楽を含め彼女が630曲をインストールして持ってきてくれたのだ。感激したのは、1950年代後半から60年代にかけての懐かしい曲が満載で、特にプレスリー、ニール・セダカ、ナット・キングコール、フランク・シナトラ、ディーン・マーチン、リッキー・ネルソン、コモドアーズ、プラターズからハンク・ウイリアムスまで、今は中々聞く機会が少ない曲が沢山あるので、これから楽しみだ。久し振りのウオーキングで今朝はたまたま、コニー・フランシスの歌を聞いた。
1938年生まれの彼女の事を知る人は、少なくなったろうが彼女はイタリア系のアメリカ人で、本名は「コンチェッタ・マリア・ローサ=フランコネロ」と言うらしい。代表的な作品に、当時日本では弘田三枝子が歌ってヒットしたヴァケイション( Vacation )やボーイ・ハント (Where The Boys Are )、中尾ミエが甘え声で歌ってヒットした可愛いベイビー (Pretty Little Baby )やカラーに口紅 (Lipstick On Your Collar )、間抜けなキューピッド (Stupid Cupid)等が有名である。意外な事に、あの山口百恵も可愛いベイビーを歌っているそうだ。
因みに今日は、リズムに乗ってヴァケイションや間抜けなキューピッド で早足、ボーイ・ハントや可愛いベイビーで並足で歩いた。明日はどの曲を聴きながら歩くか、楽しみになって来たが、ナイキのシューズに「アイポッド」のメモリーを装着して、万歩計になるらしく早速それもネットで買う事にした。数ヵ月後の私のスリムな体に、ご期待あれ!(●^o^●)
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4月8日(木) ≪仙台、日帰り出張≫
"広瀬川 流れる岸辺 想い出は かえらず 早瀬 おどる光 ゆれていた 君のひとみ・・・"。 これは、今から32年前の1978年の5月に歌手のさとう宗幸氏が歌って大ヒットした歌である。昨日、久し振りに日帰りで宮城県≪仙台≫に出張した。朝会社に出て、帰りも会社に寄ったのでかなりタイトで慌ただしい出張だった。今では新幹線で2時間前後と以前より随分楽になり、充分日帰りが可能な圏内である。ところで、仙台と言えば皆さんは何を思い出すだろうか?
歌に歌われた「青葉城」、そこの城主であった「独眼竜伊達政宗」、「七夕まつり」、「笹かまぼこ」、「伊達男」、「仙台萩」、「牛タン」ってところか。その他にも私は、「日本三大ブス(失礼!(●^o^●))の産地」などが思い浮かぶ。ところが、昨日言ってみて私の考えが一変した。仙台は、私の記憶では確か現在我が国に有る政令指定都市19の内の11番目の都市で、その玄関口である仙台駅は、地方都市の駅にしては結構大きく立派な駅である。
駅に屯していた東京でも見ないような派手なメイクと鼻ピアスの高校生らしき連中は別として、ホテルのティールームで行き合わせた"アラフォー"と思しき一団は、なかなか洗練されていた。お茶を飲みながらの打ち合わせだったので、私も決してまじまじと見た?訳ではないが、何か習い事の仲間であろう奥さん連中が、真中に着物を召した年嵩の女性を囲んで楽しそうに談笑していたのである。見るからに高そう洋服を着、東京青山にでも居そうな彼女たちのセンスは"なかなか"のものであった。
「ブス」政策は、伊達正宗が他国からの侵略を恐れて実施したという嘘か誠か定かでない言い伝えを聞いた事が有るが、こんなに空気が澄んで奇麗な街に美人が育たない筈がないと思う。マア、仙台のブス議論は改めてすることにして、最後に政宗が68歳で没した折の辞世の句をご紹介しよう。
「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く」
【青葉城公園にある伊達政宗騎馬像】昨日≪ホイットニー・ヒューストン≫の日本公演コンサートを「埼玉アリーナ」に聴きに行った。いつも外国人アーティストの公演を1人で行っているらしい兄貴の誘いで、無粋だが2人で一緒に行って来た。ホイットニー・エリザベス・ヒューストンの来日公演は、1986年以来7回目で今回は13年ぶりらしい。彼女の大ヒット曲と言えば、思いだすのは1992年にケビン・コスナーと共演した初主演映画『ボディガード』の主題歌である「I Will Always Love You」だろう。この曲を含めた彼女の新曲6曲を収録したサウンドトラックは全世界で3000万枚を売り上げ、日本でも当時洋楽史上最高の280万枚を売り上げる驚異的なヒットとなったのである。
その年彼女はR&B歌手、ボビー・ブラウンと結婚。翌年には一人娘ボビー・クリスティナ・ヒューストン・ブラウンを出産したが、その頃が彼女の絶頂期だった。2000年にベストアルバムを発売したが、時期を同じくしてハワイの空港で大麻所持で拘束された。激しく体重の落ちた姿が度々見られるなど健康を害し、その後テレビ番組で大麻やコカイン等の常用やセックス中毒であったことを告白している。夫が暴行などで度々逮捕され、離婚説が幾度も報じられるなどのトラブルも多く、週刊誌やテレビ等で私生活を取上げられる事が度々有ったようだ。
2004年から翌年にかけてリハビリ生活を続けた後、2006年10月にボビー・ブラウンとの結婚生活に終止符を打つべく裁判所で離婚が成立した。その際お金を得るために、家や土地を始め全ての家財道具や衣装、果ては下着まで売り捌いたとアメリカCNNの報道で聞いたことがある。彼女の復活は、2009年8月31日(米国)にアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』が発売され、1週目で30万枚以上を売り上げBillboard 200の初登場1位を獲得してからで、その結果今回の東京公演を皮切りに11年ぶりのワールドツアーも決定したのである。
心に響く素晴らしい歌声とは、こういう歌を言うのであろうか?彼女は10代の頃ファッションモデルをしていたらしく現在46歳ながらスタイルは抜群で、エルヴィス・プレスリーやアレサ・フランクリンのツアーにバック・コーラスとしても参加していた母親シシー・ヒューストンの声と教えを受け継ぎ、「アメリカ合衆国で(女性アーティスト史上)4番目に売れている歌手」と評価されるまでになったのである。私は、常々日本人が外国人に叶わないものが二つ有ると思っている。それは、黒人に代表される強靭な体力と彼女のようなソウルフルな歌声である。出来たら、もう一度彼女のコンサートに行きたいと思っている!
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