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9月2日(木)   ≪「土俵の鬼」鬼籍に入る≫

昭和30年代の大相撲の黄金期を、当時の名横綱栃錦と共に築き上げた『土俵の鬼』こと、元横綱初代若乃花花田勝治氏が昨日腎細胞ガンの為82歳で死去した。彼は青森の裕福なリンゴ園の長男として生まれたが、6歳の時の「室戸台風」で作物が全滅し家が没落したため、一家全員で北海道の室蘭に移住し、少年時代に港湾荷役の重労働、所謂"沖仲仕"をしながら一家を支えたと言う。若乃花の得意技『呼び戻し』(仏壇返し)はつとに有名で、1953年5月場所から1962年1月場所までの約9年間で19回も記録していると聞く。

最近では、千代の富士朝青竜も数回決めているようだが、若乃花のそれは判っていても喰うらしく、19回中、2回以上呼び戻しを食った力士は、前さばきの名人といわれた若瀬川をはじめ、出羽湊潮錦といったベテラン力士が含まれていた。この決まり手は一度自分の方に相手力士を呼び込むため、リスクを伴い相当の力量差がないと決まらない業とされている。ウエイトトレーニングのやり方が定まっていなかった時代に、記憶に有る彼の肩の筋肉の盛り上がり方は、尋常な稽古の産物ではなかった筈だ。

マムシ』と呼ばれた栃錦と築いた「栃若時代」は、後の「柏鵬時代」、「北玉時代」、「輪湖時代」、「曙貴時代」より力が拮抗して面白かった時代と言われている。共に身長178cmと179cmと小兵で優勝回数の10回、対戦成績も栃錦の19勝(うち不戦勝1回)15敗とほぼ互角であった。今の大相撲界は大型力士のオンパレードであるが、当時も胸毛の3代目朝潮大内山大起(おおだち)などの大型力士は居たが、『マムシ』と『土俵の鬼』の「技」と「執念」の競い合いは半端なものではなかったように思う。

文字通り"鬼籍に入った"花田氏は、今の相撲協会を憂いつつ大勢の鬼たちを投げ飛ばしているに違いない!(--〆)

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<(左)初代若乃花の雲竜型の土俵入り/1960年3月場所で、初めて横綱同士が共に14連勝同士で千秋楽に対戦し若乃花が寄りきりで栃錦を下した取り組みは、昭和の名勝負として今も語り継がれている>