Archive: 2010年9月

220px-Red_Wine_Glas.jpeg透き通った赤や濃い紫、あるいは赤褐色のワインを赤ワインと呼ぶ。一般的に、カベルネソビニョンボジョレーピノヌアーメドックメルロット等の辛口赤ワインが最も美味しいとされている。本場フランスでは我が国で必ず水が出てくるように、学校のレストランでもどこの家庭にも赤、白がデキャンタが置いてあるそうだ。フランス人にアル中がいないそうだから、辛口赤ワインを毎日飲んだとしてもアル中にはならないと言う事になる。若い頃、白ワインのシャブリ一辺倒だった私も、ここ10数年は味の深みが判るようになったため?赤ワイン党に宗旨替えした。

赤ワインは白よりもタンニンを多く含み、渋みがある。主として黒ブドウや赤ブドウを原料とし、果実を丸ごと発酵させるため、果皮に含まれる色素やタンニンが抽出されて赤くなるそうだ。以前から、赤ワインに含まれる植物成分のポリフェノールが、血液をサラサラにし肥満を防ぐため飲むサラダと言われていた。そして昨日、更に朗報!?が舞い込んできたのである。名古屋市立大大学院医学研究科の岡嶋研二教授と原田直明准教授らのグループが、赤ワインに含まるポリフェノールが学習機能や記憶をつかさどる脳の海馬を活性化するメカニズムを突き止めたと言うのだ。

認知症の予防や改善につながる研究結果で、近く研究論文が米化学誌に掲載される。1日にワイングラス2~3杯程度(250~500ミリ・リットル)を飲むと、認知症に効果があることは従来、別の研究者の実験で知られていたが、メカニズムは解明されていなかった。今回、岡嶋教授らのグループはマウスの知覚神経を培養、ポリフェノールを加える実験をしたところ、脳の海馬を刺激する物質「CGRP」の放出量が増加することが分かったそうだ。私は、夕食の際に必ず大きなワイングラスで赤ワインを2~3杯飲むが、昨日もワイフから飲み過ぎを指摘された。

しかし、今日から大きな顔をしてワイングラスを飲み干す事が出来るのだ。何故ならワイフは大きな身体をした私が認知症になる事を、最も懼れているからだ。ただ白ワインと違い赤ワインは、含まれるチラミンヒスタミンのせいで、人によっては激烈な頭痛を起こすと言われている。何事も「過ぎたるは、及ばざるが如し」か・・・? 100930_071438.JPG

                         <我が家のワインセラー?>

photo_05.jpg28日東京・有明テニスの森公園で開催された女子テニスツアーの東レ・パンパシフィック・オープン女子シングルス2回戦で、初戦でディフェンディング・チャンピオンのマリア・シャラポワ(ロシア)を破る金星を飾ったクルム伊達公子(エステティックTBC)が、ダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)に圧勝し、3回戦にコマを進めた。、世界ランキング67位で昨日40歳をになった伊達が、同15位のシャラポア(23歳)、同29位のハンチュコバ(27歳)の20歳代の二人を相次いで打ち破ったのだから大変な快挙だ。

テニスというスポーツは他に比べて何よりも瞬発力を要求される競技で、プロの世界では25~27歳位がピークと言われている。私も今から15,6年前に息子とプレーしていて、球際にあと一歩が届かずアキレス腱を切った経験が有るのでよく判る。1889年に19歳でデビューした伊達は、"ライジングショット"(相手ボールが自分のコートでバウンドした直後の上がり端を打ち返ショット)の名手として日本人の女子テニス選手で史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした選手である。彼女は、26歳で一度引退したが、12年のブランクを押して38歳でカムバックし、既に韓国オープンで1勝を挙げている。

恐らく食事に最新の注意を払い、コーチに付いて近代的なウエイトトレーニングに励んでいるのだろう。恐らく30歳程度の体力を維持しているに違いない。人間の身体は鍛えれば、無限の可能性を秘めているのかも知れない。以前私が脳の検査をした時、脳年齢は実年齢より5歳ほど若いと診断されてほくそ笑んだ事がある。但し、喰っちゃ寝喰っちゃ寝の生活で体力は確実に落ちている。アラフォー伊達を見習い、摂生しようと思うのだが?こjこは先ず、39歳7ヶ月のビリー・ジーン・キング女史の最高齢ツアー優勝を是非とも伊達に破って貰いたいものである。

今日9月28日は、「パソコン記念日」だそうだ。1979(昭和54)年の今日、日本電気(NEC)がパーソナルコンピュータ (personal computer) PC-8000シリーズを発売し、パソコンブームの火附け役となった。現在は、一家に1台はもとより企業では、社員1人に1台の時代である。あらゆる分野での分析資料の作成の他、デジカメの発明により画像処理が容易に出来るようになり、パソコンは、情報伝達の手段としての非常に有効な道具となった。今やパソコンなしの仕事も生活も考えられないくらいである。又、メールやネットの世界で、色んな人々とも交流が出来る様になった。音楽配信の分野でも最も重宝なツールとなりつつある。私もパソコンが無ければ、このブログも書けない。誠に有難いことである。

NECは、その後に発売した9800シリーズ、いわゆる「キューハチ」で、その快進撃を続け市場の6割を確保していた。この頃、海外のパソコンが日本の市場に参入できない最大の理由に、日本語処理の問題があった。この問題を解決し進出してきたのが、マイクロソフト社が開発したOSウィンドウズで、1983年に発表されたWindows1.0である。しかし、ウィンドウズが普及し始めたのはWindows3.0以降で、ついに、1995年に発売されたWindows95が世界的な大ヒットとなり、世界は勿論、日本でも今やWindows搭載のパソコンが市場を制覇している。

ただ、技術開発の進歩が早すぎ、パソコンの買い換えやメンテナンスが大変なのがユーザーの共通の悩みではなかろうか?私は、会社と自宅のパソコンとノート3台で何時でも何処でもメールやその他の情報が見れるようになっている。従って、世界の果てでもこのブログはUP出来る。2008年7月14日にホームページを立ち上げて以来、土日、祭日以外ブログを休止した事は一度も無い。このブログを何人の方々がご覧になっているか判らないが、もし2日以上見れない日が続いたとしたら、私の身に何かが起こったと思われてもいいかもしれない!(--〆) 100928_100818.JPG                          <私の会社のパソコン>

hat.jpeg昨日の日曜日、2週続けて≪ふなばしアンデルセン公園≫に遊びに行った。先週の日曜日には長男の孫娘4歳(11月3日で5歳)が、今週は二男の3歳の男の子の孫が我が家に遊びに来たからだ。この公園は、我が家から南東15kmに位置する車で30~40分程度で行ける比較的手頃な遊び場である。この地は、1987年(昭和62年)11月に市制施行50周年の記念事業として、自然の中で強い子どもを育てたい、友達を大切にする子どもになってもらいたい、そして大人も童心にかえってのびのびと遊んでほしいという願いを込め、「ワンパク王国」としてオープンしたそうだ。

このワンパク王国に隣接してメルヘンの丘ゾーン子供美術館ゾーンが新たに整備され、平成8年10月、ワンパク王国も含めた全体区域が東京ドーム約6個分(28ha)の都市公園の≪アンデルセン公園≫としてオープンした。≪アンデルセン公園≫の整備にあたっては、世界的な童話作家ハンス.クリスチャン.アンデルセンの生誕の地であり、船橋市と姉妹都市で結ばれたデンマーク王国オーデンセ市の全面的な協力を受けており、様々な交流事業も行われているようだ。

 平成19年秋には、≪アンデルセン公園≫を主会場に中核市では初めてとなる「都市緑化フェア」(第24回全国都市緑化ふなばしフェア)が開催され、併せて4つ目のゾーン「自然体験(里山の水辺)」がオープンしたと言う。この公園の魅力は、工作・美術からポニーや小動物との触れ合い、季節の花々、イベント広場から大型滑り台やアスレチック施設、バーべキュウも可能な広場と子供たちにとって全ての楽しみが満喫できるところに有る。流石の私も、アスレチック設備の高所に登らないようにしているものの、2週連続の≪ふなばしアンデルセン公園≫は、2週連続のゴルフより疲労感を感じた今朝なのである。

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                 <アンデルセンの顔のシンボルマークと様々な施設>

昨日、ジュリア・ロバーツの今話題の新作、『食べて、祈って、恋をして』を観てきた。エリザベス・ギルバートによる回想録『食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探求の書』を映画化したものである。離婚したてのジュリア扮する主人公が、厭世感からイタリア、インド、インドネシアのバリ島を文字通り、それぞれ"食べ狂ったり"、"瞑想に耽ったり"、"恋をして"最後はハッピーエンドで「THE END」となる映画である。共演者は、最近ペネロペ・クルスと別れたと伝えられているハビエル・バルデム と申し分ないのだが、観終わった後何とも釈然としない思いで帰路についた。

ご承知の通りジュリア・ロバーツは、1989年『マグノリアの花たち』でデビューし、1990年全米興業収入1位を獲得したリチャード・ギアとの共演作品『プリティ・ウーマン』で1流スターの座を動かぬものとした。その後、私が観た中でもデンゼル・ワシントンと共演した1993年の『ペリカン文書』、1996年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を獲得した『マイケル・コリンズ』、アカデミー主演女優賞作品の2000年制作の『エリン・ブロコビッチ』や2007年制作のトム・ハンクスとの共演作『チャーリー・ウイルソンズ・ウォー』などの秀作も多い。現在、アンジェリーナ・ジョリーと並ぶ1本のギャラが2000万ドル級のアメリカのトップスターである。

しかし、時間をかけて制作したであろう今回の作品は、押しも押されもしない大スターの映画としては些か物足りない。始まって30分は、えらい展開が早い。結婚、離婚、もう一回恋愛して、速攻別れる。何でそうなのか?とか主人公の生い立ちとか家族などの説明も無く主人公はイタリアへ旅立った。次に向かったインドでは、口の悪い男と勝手に決められた結婚に不満を抱く少女に出会い『瞑想』に耽る。最期に辿りついたバリでは、粋なスペイン人と新たな恋に落ち、無人島へ行こうと誘われるものの断ってニューヨークに帰ろうとするが寸前に占い師の師匠に諭され、彼の元に舞い戻り1年間の旅は終わる。

要するに140分の映像作品としては、意味不明で盛り上がりに欠けた退屈な映画なのだ。美しい映像と音楽、アジアのatomosphere,そして美味しそうなイタリア料理に興味が有る方々は是非ご覧あれ!

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アメリカ.JPG去る17日の金曜日に、駐日アメリカ大使館を訪問した。アメリカ合衆国ミネソタ州知事の商業ミッションで我が国を訪れたGeneral Equipment CompanyMr.Dennis Von Ruden社長に会うためである。彼は現在、1955年に起業した父親の後を引き継ぎ小物建設機械メーカーのオーナーを務める傍ら、アメリカレンタル協会(ARA)の役員を歴任し、現在は財団の委員を務めているらしい。今回は中国の上海で5日間の視察を行い、次いで日本を訪れたという。名前からしてドイツ系かオランダ系と思われるRuden氏は、現在の米国におけるレンタル市場の現状を説明すると同時に、我が国の建機レンタルの実情に付いて聞きたかったらしい。

我々は、全国建設機械器具リース業協会角口(かどぐち)会長以下、副会長の私を含め7名で米国大使館を訪れたのだが、警戒の厳重さに先ず驚かされた。当然の事だろうが、玄関の検問所でボディチェックを受けて入館し、建物の入り口で再度止められ警備員に携帯電話やカメラ、電卓などの電子機器を取り上げ?られた。出迎えの合衆国大使館商務部の青盛氏にエレベーターで地下1階に案内され、職員の食堂横を通り会議室へ・・・そこにくだんの大きな身体で立派な髭を蓄えたMr.Dennis Von Ruden社長が女性通訳と一緒に待っていたのである。

会長が挨拶した後、我が国に於ける建機レンタルの歴史と現状と問題点、業界の構成等に付いて私が15~20分程度説明し(残念ながら通訳経由で(--〆))、本題に入り相互に質問や意見交換を行って約2時間のミーティングが終了した。共通認識では、一昨年9月のリーマン・ブラザーズの破綻に起因する世界同時不況の影響に依るレンタル単価の下落と中国脅威論であった。最後にサプライヤーとして互いにユーザーに優良な商品を供給する事とARAとの更なる連携を約した後、オバマ大統領、ジョセフ・バイデン副大統領、ヒラリー・クリントン国務長官の写真の前で、全員による記念撮影を行い大使館を辞したのである。
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<左上:係員の制しを振り切って撮った大使館の玄関の上の紋章/左・Ruden氏とミーティング中の私(向かって左が角口全建会長、右が東京支部の鬼丸会長と丸山副会長)※写真をクリックすれば大きくなります>

photo_04-02.jpeg 世界五大歌劇場の一つである【英国ロイヤルオペラ】が18年振りに日本にやって来た。今回の公演に選ばれた作品は、ヴェルディの「椿姫」とマスネの「マノン」の2作品。今回上野の東京文化会館で私が観た「マノン」は、ここ数年、世界各地で急激に上演が増えている作品で、マノン役のアンナ・ネトレプコの小悪魔的に、ときに妖艶に、そしてときに清純にと、マノン役に要求される女優並みの演技力は、大いに期待して余り有るものだった。2010年6月に、ロンドンの初演から3ケ月足らずで日本のオペラ・ファンに披露されたフランス人ロラン・ペリーの演出、気鋭のアントニオ・パッパーノ指揮による新しい「マノン」は、英国ロイヤル・オペラの伝統と格式に新たな1ページを刻んだと称されている。

あらすじはこうだ。   "奔放で享楽的な性格から修道院に入れられることになったマノンの前に、騎士デ・グリューが現れる。マノンに一目惚れしたデ・グリューは、パリへと駆け落ちし、二人はつつましく生活している。マノンの前に貴族のブレティニーが現れ、もっと贅沢な暮らしをしようと彼女を惑わす。心揺れ動くマノンは、デ・グリューとの別れを決意する。豪奢に暮らすマノンだったが、かつての恋人デ・グリューへの想いが蘇り、二人の恋は再び燃え上がる。しかし、彼女の享楽的な生活は変わらず、マノンはデ・グリューを賭博場に連れ出し賭けに勝つが、いかさまだと告発され、二人は捉われの身となる。デ・グリューは釈放されるが、マノンはアメリカ流刑を宣告される。デ・グリューのマノンへの想いは強く、 従兄のレスコーの計らいで再会するが、真実の愛を知ったマノンは、デ・グリューの腕の中で息絶える"

S席54,000円、A席47,000円と高額にも拘わらず5階席まで満席で、芸能人を含め年配者から若い音楽家志望と思しき若者までが、2度の休憩をはさみ4時間に亘る公演を咳払い一つせずに鑑賞していたのは驚きである。確かに私もマノン・レスコー役のアンナ・ネトレプコ 、騎士デ・グリュー役のマシュー・ポレンザーニ の美声とロイヤル・オペラ合唱団の荘厳さ 、ロイヤル・オペラハウス管弦楽団 の演奏の素晴らしさに、A席の価値を充分実感したひと時であった。

まのん1幕.JPG photo_03.jpeg <マノンの第1幕と第3幕>

今日9月17日は、プロゴルファー石川遼の19歳の誕生日である。未だ19歳なのが驚きだが、さぞかし、多くのファンから沢山の誕生日プレゼントが彼の元に届くことだろう。石川を一躍有名にしたのは、当時高校1年のアマチュ選手だった彼が、通算12アンダーで優勝した2007年の「マンシングウェアオープン KSBカップ」だ。優勝を決めたバンカーからのチップインショットは、鮮烈だった。石川の15歳8カ月の優勝は、1977年の日本オープンでセベ・バレステロスが記録した日本男子ゴルフツアーの最年少優勝記録である20歳7カ月はおろか、日本女子ゴルフツアーで宮里藍がアマチュア時代の2003年に記録した最年少優勝記録である18歳101日を大きく塗り替える結果となった。

昨日から始まった「ANAオーップン」で、2試合連続の優勝を目指す石川は、5バーディ、3ボギーの2アンダーの70で回り、池田勇太らと共に8位発進と絶好の位置をキープしている。19歳になる石川に、既に多くのスポンサーが付いているのはご承知の通りだ。2008年1月25日にはヨネックスと5年間総額10億円のボール以外の用具総合使用契約を結んでいる。又、所属契約をパナソニックと、移動サポートをANA(全日空)、サングラスを山本光学などとも契約している。その他、4月1日からトヨタと2年契約、コカ・コーラと5年契約、NTTドコモと3年契約、新学社と1年契約(2009年現在継続中)を交わした。

今年からボールを横峯さくらも使っている「スリクソン」一本に絞ったが、今大会からボールに刻んでいる文字、所謂「ON NAME」RYO→彼が大好きな言葉である「everyone」に変えたそうだ文字を細く小さくしたことで、パッティング時に効果を発揮するという。「everyone」の文字を打ち出す方向にボールをセットし、パッティングすると真っすぐに転がったかどうか確認出来て好結果につながるらしい。今季からキャディーバッグにも入れた「everyone」は「ryo」の部分だけ赤くしている。杉並学院高時代の英語の先生から授けられたもので「みんなの支えがあって今の自分がある。みんなで一緒に戦う」の意味が込められているという。

ボールにも、その言葉が刻まれたことで、支えられた友人、関係者、ファンの思いをより感じながらプレーができ、心理的にも落ち着けるそうだ。果たして、19歳に成り立ての石川遼が2試合連続優勝の偉業を達成出来るかどうか?大いに注目したいところである。

270px-Ryo_Ishikawa.jpg                    <もう19歳、未だ19歳。どちらが正しいの?>

2010091401000361.-.-.CI0002.jpeg"シュワちゃん"こと、アーノルド・シュワルツェネッガーカリフォルニア州知事が日本と韓国を訪れ、新幹線や韓国高速鉄道(KTX)に乗り込み笑顔を振りまくニュースが連日テレビで報道されている。シュワルツェネッガー知事は、ご存じと通りオーストリア生まれのアメリカ人映画俳優だが、2003年10月7日にカリフォルニア州知事に選出され現在に至っている。シュワルツェネッガーと言えば、全米ボディビルダーで優勝を飾った後、1970年にヘラクレス役で映画界にデビューし、続いてジェームズ・キャメロン監督によるSF映画『ターミネーター』(1984)で悪役アンドロイドを演じて一躍有名になったアクション俳優である。

カリフォルニア州は高速鉄道の整備計画がある為、菅総理大臣もシュワルツネガー知事と会談し、「日本の新幹線はスピードだけじゃなく安全性も素晴らしい」と訴えたと言う。日本の新幹線は1964年(S.39年)の東京オリンピックの年に開業した高速鉄道で、軌間が同じ1,435mmで2004年からフランスのTGVの技術を導入して開業したKTX (Korea Train eXpress)に、キャリア面と安全性で大きく水を開けていると考えるのは危険だろうか?そこで新幹線に関してクイズを5問出してみようと思うが、果たして皆さんは、幾つ答えられるだろうか?

新幹線は、外国でもそのまま 「Shinkansen」の名で知られているが、一般的には英語で何と呼ばれているだろうか?"シュワちゃん"が乗ったツートンカラーの新幹線は、どの路線の何系でしょうか?常に時速200km以上で走る新幹線は、安全確保のため定尺レールを溶接して作った200m以上のレール、所謂ロングレールを使用しているが、最も継ぎ目がないスーパーロングレールの長さは最長どのくらいだろうか?3択でお答えください。(1.約20km、2.40km、3.60km)皆さんはドクターイエローという新幹線をご存じだろうか?このドクターイエローの正式名称とその目的に付いてお答えください。新幹線の次世代高速鉄道であるリニアモーターカー(超電導誘導型磁気浮上式)の我が国に於ける開業予定は、どの路線で何年からだろうか?又、現在世界でリニアモーターカーの実用化がされている国はどこだろうか?

【答え】:①日本以外の国々では Bullet (ブーレット/弾丸)Train(列車)と言われている。JR東日本が、2011年3月に初めて走らせる予定のE5系を特別に臨時列車として走らせた。答えは3番の60km。正確には、東北新幹線のいわて沼宮内駅~八戸駅間の延長約60.4km。正式名称を「新幹線電気軌道総合試験車」又は、新幹線電気軌道総合検測車( - けんそくしゃ)と言う。愛称を「ドクターイエロー」の呼称し、新幹線区間において線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行し、新幹線の軌道・電気設備・信号設備を検査するための事業用車両である。実はこの列車の存在を3歳の孫から教えて貰った。⑤2025年にJR東海・中央新幹線の首都圏~中京圏での営業運転開始を予定している。ドイツ トランスラピッド及び中国 上海磁浮列車で実用化されている。

皆さん、又少し利口になりましたね。(●^o^●)

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<(左)韓国のKTX (中)東北・上越・長野(北陸)新幹線の車両。一番左がE5系 (右)ドクターイエロー>

民主党代表選挙で、順当に?菅直人氏が小沢一郎氏に勝って菅政権の続投が決まった。冷静に考えてみると、如何に剛腕と言われようとも、3ヶ月前に時の首相と『政治と金』の問題で引責辞任した前幹事長が政治の表舞台、それも一国の代表に収まる事自体あり得ないこと事だ。国会議員票は伯仲だったが、党員サポーター票が勝敗を分けたようで以外に大差がついたようようで、世論が勝利した証左だ。ところで、海外の主要国は今回の代表選挙即ち総理大臣選びを結果をどう受け止めているのだろうか?

ニュースによると各国は、「内政問題」と言いつつ概ね歓迎しているようだ。特に『普天間基地の移設』問題を抱える米国は、ひとまず安堵感が拡がっているようだ。何故なら小沢一郎前幹事長が勝った場合、懸案の米軍普天間飛行場移設問題をはじめとする対米政策が根本的に見直され、準備が遅れている11月のオバマ大統領訪日にさらなる波風が立つのは避けられないと懸念していたためだ。一方、尖閣諸島沖で起きた中国漁船と日本巡視船の衝突問題など、超大国への道を突き進む中国と日本の摩擦が続出する中、中国は菅首相は「組しやすい相手」(中国筋)と見られているようだ。

大使が夜中に呼び出された途端、乗組員を中国にチャーター機で送り届けた?日本の弱腰外交は今後の管政権の日中関係を示唆する典型的な事例である。又、ロシアメドベージェフ大統領も「菅」という名前は出さず、関係強化の意向を示したと言う。大統領は、「互いに無礼な行動を取らなければ、最も困難な問題も解決できる」とも述べたらしい。当然『ねじれ国会』などで、内政に追われる菅政権との間で、懸案の「北方領土問題」が進展するとみる関係者は皆無に等しいようである。

このような報道を見たり聞いたりするにつけ、もし「小沢が勝っていれば?」と思う人も少なからず居るかもしれない! 20100915_02.jpeg              <民主党代表に再選された菅首相(左)を祝福する小沢前幹事長>

image.jpeg今、プロ野球が熱く燃えている。終盤に差し掛かったにも拘わらず、セ・パ両リーグ共、上位3チームが三つ巴の様相を呈しているからだ。但し、セ・リーグが一昔前のように今一つ盛り上がらないのは何故だろうか?昨日の或るネットの配信の見出しに、「なぜセ・リーグはエースが育たないのか?」という記事が載っていた。9月12日現在、規定投球回に到達した投手がパ・リーグの16人に対して、セ・リーグは9人しかいないそうだ。セ・リーグの投手陣に異変が起きているというのだ。確かにセ・パ両リーグの投手の投球回数や完投回数を見比べてみると、その傾向は如実に見てとれる。

パ・リーグでは、投球回数160回以上が涌井秀明(西)投手の188回を筆頭に8人もいるのに、セ・リーグは前田健太(広)以下、半分の4人しかいない。完投も、4試合以上がパ・リーグにはダルビッシュ有(日)や田中マー君(楽)の8試合を筆頭に同じく8人いるのに対して、セ・リーグは前田と中田賢一(中)の4試合が最高だ。野球は打撃戦も面白いが、息詰まる投手戦も見る者にとっては、それ以上に興奮するものである。

一昔前までは、登板試合数944・完投回数365試合の金田正一(400勝)、登板試合数949・完投試合262試合の米田哲也(350勝)、登板試合数856・完投回数290試合の小山正明(320勝)、登板試合数703・完投回数340試合の鈴木啓示(317勝)、登板試合数662・完投回数335試合の別所毅彦(310勝)、登板試合数586・完投回数350試合のスタルヒン(303勝)などの猛者を輩出したプロ野球も1960年代以降完投試合は、投手の役割分担制で激減しているという。

特にセ・リーグは黒田博樹上原浩治川上憲伸などが大リーグに移籍して以降、大投手が現れていないのである。強いて言えば、前出の前田健太ぐらいだろうか?何とか今のうちに、古き良き時代を知っている原辰徳監督や落合博光監督に先発完投型のピチピチした投手を育てて貰いたいものである。尤も、ダルビッシュや岩隈久志(楽)がポスティングでメジャー・リーグ移籍が噂される状況下、パ・リーグの投手陣も些か怪しくなって来た。 250px-Victor_Starffin.jpeg

<左上:金田正一。1955年7月30日対近鉄パールスで通算300勝を達成したヴィクトル・スタルヒン(高橋ユニオン)>


日曜日の朝、或る企業のサクセスストーリーを紹介するテレビ番組を見ていて、"おやっ?"と思う事が有った。そこには、介護用品のメーカーであるフットマーク株式会社(東京墨田区)の磯部さんという社長さんが、「介護」という単語は同社が「世話をする側とされる側のお互いの気持ちの交流を考えて『介助』と『看護』を組み合わせて作った造語だと紹介していた。「商標登録」もしているが、「介護保険」等のネーミングに対しては、無料で使用を許可しているとも付け加えていたようだ。

私も我々「団塊の世代」が忽ち「介護」が必要になる時代がやってくるので、興味があって介護ベッドや車椅子などの介護用品のレンタルのライセンスを数年前に取得している。その際の講習で、我が国に於いて、「介護」という言葉が法令上で用いられたのは、1892年の陸軍軍人傷痍(しょうい)疾病恩給等差例の表現が始めただと聞いた事が有った。当時「介護」は施策としてではなく、恩給の給付基準としての概念で使用されていたのである。「介護」という言葉が本格的に使われるようになったのは、1970年代後半からの障害者による公的介護保障の要求運動からだそうだ。

「介護」という言葉は、調べてみたところその目的に依っても違う「商標登録」がなされているらしい。例えば、、『月刊介護保険』を出版する株式会社法研が新聞・雑誌に関する商標権を有し、宿泊施設、飲食物の提供、乳幼児の保育、老人の養護、布団等の貸与などに関してはワタミ株式会社が商標権を有するというからややこしい。英語では、「介護」は主にcare、「看護」はnursingと言うらしいが、恐らく一般的に使われているため「商標」は登録されてはいないと思うのだが? kaigo.JPG

100px-Symbol_of_Miyazaki_prefecture.png今、九州の宮崎市のホテルでこのブログを書いている。9日の九州の建機レンタル業者の「若手経営者との懇談会」出席するために宮崎空港に久し振りに、降り立ったのだ。宮崎は、県木フェニックスに代表される南国情緒豊かな気候から、1960時代には日南地区を中心に、熱海や南紀白浜の後の新婚旅行のメッカとして栄えた。現在も春季のプロ野球などのキャンプ地として知られる。最近は、牛や豚の「口蹄疫」騒ぎと、東国原知事の派手なパフォーマンスで知られるところとなった。

地元の人の話に依れば、今回の口蹄疫騒ぎで約30万頭の牛や豚が殺処分にふされたそうだ。そこで大活躍したのが、レンタル屋の油圧ショベルと、それを使って4Mの穴を約4カ月間に亘って掘り続けた土建屋さんらしい。当初その穴掘りは、いつも災害復旧時に貢献する自衛隊が中心となってその任に当たったという。ところが、同時に施工した土建屋さんの仕事ぶりは、日頃機械を使い慣れているせいか、自衛隊員の作業に比べてはるかに速く、それも2倍も3倍もの差が出たというのだ。

地元のレンタル屋さんも、殺処分が決まるや否や明くる日の朝迄に処分場に敷く鉄板と油圧ショベルを用意したらしく、その連携ぶりは各方面から大いに評価されたようだ。そこで、私はこの口蹄疫問題で現農水大臣山田某と丁々発止やってのけた東国原知事の評判について聞いてみたところ、余り芳しくなかった。彼は、国の初動が遅かったと農水省を批判したらしいが、実際は県の対策が後手後手に回って事が大きくなったという。何れにせよレンタル業の方々にとって、夏枯れの不稼働時期に機械がf正当な価格でフル稼働したのだから、その苦労は大いにが報われたようだ。

首都圏でも、建設機械がフル稼働するような人の命が奪われない災害が起こらないかと、心の中で秘かに願う私は、大変な不埒者である。(-_-メ)

220px-Kirishima_Takachihonomine_2.jpg                      <高千穂峡は宮崎県の有名な名松である/左上は宮崎県のマーク>

extnews_necktie071204.jpgクールビズの普及が、今年ほど有難いと思える年は過去に無かった。猛暑のさ中、暑苦しいネクタイを締めることは拷問に等しい。民主党の代表選挙が熱気を帯びてきたが、これまでの立会演説会の菅さんと小沢さんの服装は、片やノーネクタイ、片や背広にネクタイ姿と対象的だ。此処数日小沢さんは、エンジのストライプのネクタイを締めていたが、皆さんは何かお気づきになった事はありませんか?そうです!ストライプの線が「左肩上がり」なのです。私はネクタイはどちらかと言うと、プリント派であるためストライプのネクタイの保有は少ないが、全て「右肩上がり」だ。

皆さんもご自分のストライプのネクタイを見てみてください、殆どが右肩上がりの筈です。そこで私は、或るメンズショップに行ってその違いについて尋ねてみた処、次のような答えが返ってきた。「元々は、ヨーロッパで軍服のベルトの方向に合わせたため右上がりになったのです。だからトラッドスタイルは右上がり。これがアメリカに渡って、新しい物好きのアメリカ人が左上がりにしたんですね。左上がりをアメリカンスタイルと言います」「明治維新以来、日本が手本にしたのはイギリスの議会であり、服装も紳士の国イギリスのファッションを見習ったと思われます」

何とイギリスとアメリカでは、ストライプの柄が真逆なのだ。或る統計に依ると、サラリーマンの街、東京新橋で100人を調査したところ、92名が右上がり、左上がりはたったの8名だったという。小沢さんが、気分によって髪の分け目を左右交互に変えることは周知の事実だ。この人は、聞くところに依ると見た目や評判と違ってかなり繊細らしい。従って、今回は何か思うところがあって「左肩上がり」のネクタイをチョイスしたのだろう。日本人が「右肩上がり」が好きなのは、高度成長期へのノスタルジーかもしれない?尤も、小沢さん側からすると「左肩上がり」は、「右肩上がり」なのである。 100909_054455.JPG

          <私が持っている数少ないストライプのネクタイは、全て「右肩上がり」だった」

つい最近、或るパーティで久し振りに会ったと思われる方から『藤本さん、お久し振りですね!』と声を掛けられ、『本当ですね!』と応じたが、どうしても相手の名前が思い出せない。同業者のパーティだったので、建設業界の方には間違いないのだが、どう考えても名前が出て来ないのだ。携帯電話が無い時代には、50前後の顧客の電話番号を憶えていたが、最近は昨日食べた夕飯のおかずが思い出せないことがある。益してや、数年前に行った兄弟旅行の行き先や出来事が思い出せなく手ワイフから呆れられることがある。

約1年前のブログに登場した銀座のクラブ『由美』のママは、記憶力抜群で一度来店した客の名前は絶対忘れないという。若い頃?には、NHKのテレビ番組で或る「記憶力」テストを行った際に、殆ど瞬時に初対面の50人の人のフルネームで記憶し、数時間後に再会した時に全員の名前を言い当ててたそうだ。コンペシターが、2000人のお客様の名前を憶えているホテルのソドアーマン、顧客を沢山持っている自動車ディラーや生命保険等ののトップセールスマン等で、彼らを差し置いての優勝だから大したものだ。

又私の前職の時のアシスタントの女性は、以前600人程度の顧客を持っていた証券会社時代には、顧客本人は愚か、その大半の家族のフルネーム憶えていたという。今は個人情報保護」の観点から難しいと思うが、そのこと自体驚嘆に値する。要するに、良く仕事が出来る人、即ちトップセールスマンは記憶力抜群なのだ。人間誰しも、相手に名前を憶えられれば悪い気はしない。私が、第一線で活躍していた営業マン時代、難攻不落の顧客の奥さんやお気に入りの事務員の名前をいち早く憶え、先ずはその人たちから落として、本丸に近づいたもんだ。所謂"将を射んとすれば・・・"何とかである。

要するに記憶力を高める?ことは、成功の近道なのだ!それにしてもパーティで会った人は誰だったのだろうか?未だに思い出せない! nyuudou.jpg

                    <そろそろ入道雲が出てきてもいい頃だが?>

エコカー補助金制度」が一両日中に打ち切りになる見通しだと言う。8月末の時点で、予算残が479億円となり、1日の申請受理ペースが約40億円で9月10日過ぎには消化しきってしまうとの報道があったばかりだが、ここ最近1日当たり50億円を超えるペースで申請が続いたため予算が枯渇するらしい。そもそも「エコカー補助金制度」とは、どのような制度なのだろうか?経済産業省によるエコカーへの買い替え補助金制度が制定され、2009年6月19日から申請の受付が開始された。

同制度は、政府が推し進めるエコカー普及促進策の一つで、現在の車から環境性能の良い乗用車や重量車に買い替える場合、又買い替えを伴わなくとも、環境性能に優れた車を購入する場合に補助金が交付されると言うものだ。 同補助金制度が開始されて以来、ハイブリッド車などのエコカーや低燃費車を中心に新車販売台数が好調。経済効果が大きいことから、平成21年度第2次補正予算で平成22年度も予算額は2,609億円で延長して実施されることが決定された。この制度は一定の燃費基準をクリアーしたトラックも対象になるのである。

聞くところによると、或る大手広域建機レンタル会社がこの補助金目当て?に、或るトラックディーラーに500台の2トンダンプを発注したらしい。1台当たり20万円の補助金が支給されるので、それだけでも1億円である。その他にも重量税自動車取得税が、50%減税になるのだから大変なコストの圧縮だ。この制度は、2009年4月1日より施行された「エコカー減税制度」と呼ばれるもで、ハイブリッド自動車、電機自動車などの次世代自動車や、国土交通省が定める排出ガスと燃費の基準値をクリアした環境性能に優れた車を対象に行われる減税措置である。

この二つの制度の決定的な違いは、重量税及び自動車取得税の減税対象期間がそれぞれ2012年4月末と同3月末までの登録車を対象にしているのに比べ、「エコカー補助金」は期間は2010年9月末までの登録車と限定しているが、冒頭に述べて通り予算を消化し切ってしまえば、即終わりという違いがあるのだ。どうせなら9月末までの登録車全てを対象にすれば良かったのに、納期のちょっとしたズレで、貰える人と貰えない人が出てきて販売ディーラーと揉めるケースが想像される。

新聞によれば、購入者から販売店に「問い合わせが殺到している」らしく、大手メーカーと販売店の中には補助金終了後も補助金分の値引きを対応するところも有るそうだ。斯く言う私も、「エコカー補助金」を念頭に、3台のトラックを或る顧客から受注しているが、対象外になることは決定的なので今からその対応に頭が痛いところである。

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<(左)8月末の「エコカー補助金」の申請状況。(右)8月新車販売台数の首位は保ったものの、納期がかかるため売上台数が失速した新型プリウス

4日の日経新聞の夕刊に、『孫育てのワナ』というタイトルで我々「団塊の世代」にとって注目すべき記事が載っていた。京都大学霊長類研究所の認知心理学者正高信男(まさたかのぶお)氏が、記者の質問に答える形の記事であるが、かなり当を得ていると思われるのだ。乳幼児の虐待が問題になっている一方で、孫を無条件に可愛がる「団塊の世代」の祖父母が増えているそうだ。少子化傾向が顕著になった現代の日本で、1人か2人の少ない孫を親と取り合い、孫の歓心を買うため高価な商品を購(あがな)うケースも多いという。

競争が激しい中で、年功序列や終身雇用の制度に守られ事?を良い事に、上下関係や組織への忠誠心を重要視しながら、一心不乱に働いてきた「団塊じいさん」にとって、仕事から解き放された後に向かう先は、「厨房」の次は「孫育て」だと言うのだ。私も、もう直ぐ5歳になる女の子と3歳の男の子の孫が居るが、確かに大袈裟ではなく理屈向きで"目の中に入れて言いたくない"ほど可愛いものである。時として、この子たちが不治の病に冒されたら、自分の命を替わりに神様に差し出しても良いと考える事さえある。

京都大学霊長類研究所は、国内に48ある国立大学共同利用機関の一つで、チンパンジーの記憶の良さを「アイ」というメスのチンパンジーが、パソコンの画面の消えた数字のマークを指し示すことで証明して、一躍有名になった。正高氏に依ると、動物の中で生殖年齢を過ぎてなお30年も40年も生きるのは、ホモ・サピエンス即ち人間だけだそうだ。次の世代の養育をする霊長類は居るが、世代を越え孫の世話を出来るのは人間の特権?だと言うのだ。そして、「孫可愛さはノスタルジー、老いの裏返しである」と続けている。

更に、「孫を可愛がるのは、一種の自己愛と言う人もいる。孫の表情に若い時のおばあちゃん、幼い時のおじいちゃんの面影が色濃く映るのは、まさに遺伝の法則そのものです」と断言して締めくくった。成程と思う反面、年寄り扱いが厭で若干異論を挟みたいところだが、「団塊の世代」の諸君はこの件、どう思われますか?是非皆さんのご意見をお聞かせ願いたいものである。

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皆さんは、布団派それともベッド派?私は、千葉県の柏に住んでいるが柏に越して来てからは、20年以上ベッドで寝ている。学生時代もずーとベッドだった。恐らく今はベッドで寝ている人の方が多いのではないだろうか?実は今日は、「ベッドの日」だそうだ。9月3日は、グッドスリープデイ即ち「グッ(9)スリ(3)」で日本ベッド工業会が、小説「おっぱいバレー」で有名な水野宗徳氏が考えた語呂合せを採用したらしい。ベッドの形は、ヨーロピアンスタイル(ヘッドボードとフットボードがあるベッド)とハリウッドスタイル (ヘッドボードはあるものの足元の部分にフットボードがないベッド)に大別される。

英語教育の浸透した戦後世代からは、「ベッド」(Bed)と呼ぶ人が殆どだが、以前はドイツ語の「ベット 」(Bett) と呼ぶ人も多く、ドイツ語が主流だった医療現場に多くベッドが納入されていたためと思われる。 日本語では、"寝台"と言うが今時"寝台"と言う言葉を使う人は少ないだろう。唯一"寝台"と言う言葉を使うのは、2009年のダイヤ改正で全廃となった"ブルートレイン"に代表される「寝台特急」位のものだろう。「寝台特急」で思い出すのは、1961年(昭和36)に親父の転勤で九州から東京に出てくるときに乗った、ブートレインの元祖「あさかぜ」(東京-博多間)だ。

初めて乗った「寝台列車」、それもベッドが列車の長手方向に備わるゆったりとした"A寝台"だったから、えらく(●^o^●)興奮した事を子供ながらに憶えている。隣の席が、『月影のナポリ』や『メロンの気持』、『じんじろげ』等を歌って売り出し中の森山加代子だったから尚更である。私が見た初めての芸能人である。今乗ってみたいのは、国内では上野-札幌間を走る「トワイライトエクスプレス・カシオペア」、海外では「オリエント急行」無き後のユーロナイトアルテシアナイト(フランス-イタリア間)とシカゴとロサンゼルスを結んだ「カリフォルニア特急」である。

「ベッド」から少し話題が飛躍したが、寝たくないベッドは介護ベッドである。今私が使っているベッドのサイズは何かって?、それは内緒で~す!(●^o^●)但し身体が大きいので、大きいサイズに間違いありません。

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カシオペア.jpeg あさかぜ.jpeg <左が"あさかぜ"、上がA寝台、右が

           "カシオペア">

昭和30年代の大相撲の黄金期を、当時の名横綱栃錦と共に築き上げた『土俵の鬼』こと、元横綱初代若乃花花田勝治氏が昨日腎細胞ガンの為82歳で死去した。彼は青森の裕福なリンゴ園の長男として生まれたが、6歳の時の「室戸台風」で作物が全滅し家が没落したため、一家全員で北海道の室蘭に移住し、少年時代に港湾荷役の重労働、所謂"沖仲仕"をしながら一家を支えたと言う。若乃花の得意技『呼び戻し』(仏壇返し)はつとに有名で、1953年5月場所から1962年1月場所までの約9年間で19回も記録していると聞く。

最近では、千代の富士朝青竜も数回決めているようだが、若乃花のそれは判っていても喰うらしく、19回中、2回以上呼び戻しを食った力士は、前さばきの名人といわれた若瀬川をはじめ、出羽湊潮錦といったベテラン力士が含まれていた。この決まり手は一度自分の方に相手力士を呼び込むため、リスクを伴い相当の力量差がないと決まらない業とされている。ウエイトトレーニングのやり方が定まっていなかった時代に、記憶に有る彼の肩の筋肉の盛り上がり方は、尋常な稽古の産物ではなかった筈だ。

マムシ』と呼ばれた栃錦と築いた「栃若時代」は、後の「柏鵬時代」、「北玉時代」、「輪湖時代」、「曙貴時代」より力が拮抗して面白かった時代と言われている。共に身長178cmと179cmと小兵で優勝回数の10回、対戦成績も栃錦の19勝(うち不戦勝1回)15敗とほぼ互角であった。今の大相撲界は大型力士のオンパレードであるが、当時も胸毛の3代目朝潮大内山大起(おおだち)などの大型力士は居たが、『マムシ』と『土俵の鬼』の「技」と「執念」の競い合いは半端なものではなかったように思う。

文字通り"鬼籍に入った"花田氏は、今の相撲協会を憂いつつ大勢の鬼たちを投げ飛ばしているに違いない!(--〆)

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<(左)初代若乃花の雲竜型の土俵入り/1960年3月場所で、初めて横綱同士が共に14連勝同士で千秋楽に対戦し若乃花が寄りきりで栃錦を下した取り組みは、昭和の名勝負として今も語り継がれている>

昨日、日大松戸病院で右奥歯2本のインプラント(人口歯根)手術を行った。最近満80歳で20本以上の歯を残そうとする運動、『8020』が厚生労働省や歯科医師会により推進されている。20本以上の歯を持つ高齢者はそれ未満の人に比べ、活動的で寝たきりとなることも少ないなど多くの報告がされているそうだ。元来人間は、「親知らず」を含め32本の歯を有しているが、生涯60%以上の健康な歯を残すとなると中々難しいものである。私は、決して歯は悪い方ではなかったと思うが、昔の歯医者、特に女医さんは少し歯が悪くなると直ぐ抜きたがり、今回私も、その"被害地帯"にインプラントを埋め込んだのである。

インプラントは、乳歯、永久歯に続く第三の歯と言われ欧米では古くから行われているそうだ。かつてはその材質もコバルトクロムや人工サファイヤの多結晶単結晶、チタンとニッケルの合金等、色々と試されたらしいが、現在では最も骨との相性がよいとされる純チタンチタン合金が使われているようだ。長さや形状もいくつか種類が有るらしく、私も今回の2本の内、1本は奥歯の神経に近いところらしく、短いものを使ったそうだ。費用的には決して安くないが、最近『高度先進医療』を適用できる保険が出てきているらしく、安く治療できるケースもあるみたいだ。

最近では、抜いた「親知らず」などの歯を冷凍保存しておいて、将来欠損した歯の部位に移植する技術なども行われているそうだが、いずれにしても歯は大切にしたいものである。当然歯の「かかりつけ病院」も必要である。私も通院歴が長いため、たまたまドイツ帰りの歯周病専門の高名な女医さんと食事をご一緒するほど仲良くさせて頂くようになった。但し、素敵な彼女は今年66歳、ワイフ公認のお付き合いであるが、せめて30年前に知り合っておけば良かった?と思う今日この頃だ。誤解しないで下さい!『8020』を実践するためにですぞ!!(^-^) インプラント.JPG