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8月30日(月)   ≪心優しい二人の柔道家の死≫

去る27日に柔道を国際スポーツへ導いたオランダのアントン・ヘーシンクが、76歳で亡くなった。彼は13歳で柔道を始め、21歳の時に生涯無敗だった伝説の柔道家道上伯(みちがみはく)に見初められ、徹底的な個人指導を受けた結果、選手としての才能が開花したという。試合開始の際のへーシンクの「さあ来い!」とばかりの手を広げた立ち姿は私も記憶にあるが、何といっても衝撃的だったのは1964年(S.39)の東京オリンピックで日本の神永昭夫を「けさ固め」で押さえこんで勝った時シーンである。

柔術を起源とする柔道は「柔よく剛を制す」の例え通り、小者が大きい者を倒す武術と長い間言われ続けてていた。従って、正式競技として初めて採用された地元開催の五輪の柔道の内、、最も重要視されていた無差別級で、外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、自他共に柔道を「お家芸」と認める日本にとって大変ショックな出来事だった。ところが、神永を下した直後、オランダ関係者が歓喜のあまり、試合場のアントンに駆け寄ろうとした時、彼はこれを手で制して試合場まで上らせなかった行動は、「礼に始まり礼に終わる」という柔道の精神を体現したものとして、切歯扼腕していた私たち日本国民の心を少し和ませたのだった。

一方、当時「神猪時代」と言われ猪熊功と共に両雄として並び称されていた敗者の神永昭夫は、重量級の猪熊功が金メダルを獲得したので、メディアからは『日本柔道の敗北』という批判が柔道界と神永に対して浴びせられた。しかし、神永がヘーシンクに敗れたその夜、新日鉄の上司や同僚たちが好きな酒を勧めに神永の家を訪ねた際、神永は居留守を使うことなく部屋へ招き入れ、ただ一言「ヘーシンクは強かったです」と素直に認め、それ以上は語らず悔し涙を流すことも無かったという。そしてその翌日、神永は何事も無かったように定時に出社し、仕事を始めていたそうだ。

実はこれには後日談が有り、仙台在住の神永のお兄さんと仕事上お付き合う機会があったが、お兄さん曰く当時神永(179cm・102kg)は左膝のじん帯を断絶しており、試合当日は周囲にこの事実を隠し出場するも、決勝戦で体格ではるかに上回るヘーシンク(196cm・120kg)に敗れ去ったという。神永の後輩思いは幾つかのエピソードとして残っているが、彼はは常々、柔道だけではなく社会人としても全うに生きたい、という考えを有していたようだ。「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と言うが彼ら二人は、正しくその典型だろう。

その後神永は、日本代表総監督に就任してバルセロナオリンピックで吉田秀彦古賀稔彦を金メダルに導くも、翌年の1993年に直腸ガンで没している。ヘーシンクの死去で、永い間柔道界に貢献し、歴史を築いた≪心優しい柔道家≫が、二人ともこの世に居なくなってしまった。合掌!!! 

23.jpg 表彰式.jpeg 

 

 

 

 

 

 <試合場に上がろうとするオランダ人を制するヘーシンク(左)と神永と共に上がった表彰台>