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8月6日(金)   ≪「瀬島隆三」(せじまりゅうぞう)という男≫

今、日本が世界で埋没しつつある。先の6月にカナダのトロントで開催された『G20』でも、一国だけ除けものにされた格好である。それもこれも、2006年の9月から現在までの4年間に5人も一国の総理が変わるようじゃ信用される可(べ)くもない。従って当然、経済政策も一貫性を欠き、株価も一向に上昇せず、我が国経済は閉塞状態にある。首相がころころ変わる原因の一つに、名参謀の不在が挙げられる。過去の歴史でも、苦難を乗り越えてきた武将や宰相には、必ず名参謀や軍師が存在していた。

例えば、武田信玄の伝説的な軍師である山本勘助豊臣秀吉黒田官兵衛(後の如水)、或いは『三国志』で有名な諸葛亮孔明(しょかつりょこうめい)などである。特に諸葛孔明は、蜀漢の建国者である劉備玄徳(りゅうびげんとく)に「三顧の礼」をもって迎えられたとの事。それだけ、一国の主にとって諸事悩みが多く、的確なアドバイスを具申する側近の存在が大きいのである。今の菅内閣では、仙石由人官房長官がそれにあたるのだろうが、もうひとつパッとしないし、到底その任ではない。これは企業でも同じ事が言える。

「松下電器(現パナソニック)」の創業者である松下幸之助には高橋荒太、「ホンダの」本田宗一郎には藤沢武夫、「ソニー」の井深大には盛田明夫、「サントリー」の鳥井信治郎には竹鶴政孝、そして「伊藤忠商事」の越後正一には「瀬島隆三」などが、成長期に社長を支えたのである。元商社マン?の私としては、特に瀬島隆三には興味が有るところだ。元陸軍中佐だった瀬島は、1956年に11年間のシベリア抑留生活から帰還後設立直後の自衛隊のの再三の誘いを断り、シベリアからの復員兵の就職斡旋に奔走した後、1958年伊藤忠商事に入社する。

3年後には50歳で業務部長に抜擢され、その後専務、副社長、副会長とトントン拍子に出世し、1978年には会長に昇りつめたのである。高度成長期でもあったが、陰日向の瀬島の働きによって社長の越後は「繊維相場の神様」と呼ばれ、在任中に資本金が6.5倍、社員が2.7倍、売上10倍と凄ましい発展を遂げさせた。中曽根内閣のブレーンとしても活躍した彼は、帝国陸軍の参謀本部の組織をモデルにした「瀬島機関」と呼ばれる直属の部下を率いて、繊維を扱う一商社に過ぎなかった伊藤忠を「総合商社」に伸し上げたのである。

瀬島は山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公・壱岐正中佐、『沈まぬ太陽』の登場人物・龍崎一清のモデルであるともいわれ、『二つの祖国』では実名の記述が見られる。2007年に老衰で没した彼は、晩年にテレビの番組で「瀬島機関」の存在そのもの否定し、「マスコミの作り話」と語ったそうだが、果たしてそうだろうか?さて皆さんの会社に、「瀬島的人材」は存在しますか?

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  <左;軍隊時代の瀬島/中;伊藤忠に就職した頃/右;新聞の死亡記事>