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Aug
8月4日(水) ≪初めてルイ・ビトンを使った「後藤象二郎」≫
1897年(明治30年)の今日、NHKの大河ドラマ『龍馬伝』でもお馴染みの公武合体派の急先鋒として、土佐勤王党を弾圧し壊滅させた旧土佐藩の「後藤象二郎」が60才で亡くなっている。後藤は土佐藩の上士で馬廻格・後藤助右衛門正晴(150石)の長男として土佐郡高知街片町に生まれた。少年期に板垣退助や岩崎弥太郎ら共に義理の叔父・吉田東洋の少林塾にて学んでいる。『龍馬伝』の劇中では、龍馬の毒殺を試みたり(後に和解)、下士の岩崎弥太郎を苛めたり、或いは叔父の東洋を暗殺した武市瑞山(半平太)らを切腹させるなど敵役として登場する。
実際の後藤は、弥太郎の弟で三菱の2代目総帥弥之助に娘の早苗を嫁がせたり、公武合体から非佐幕へと政治姿勢を転換させ、幕府の要人で土佐藩主の山内容堂に大政奉還策進言し、明治維新の実現に寄与した。しかし、同策が「坂本龍馬」の発案である旨を述べなかった事から、後藤が坂本の功績を横取りしたという汚名も蒙っている。又、維新後は政府の要職を歴任したほか、自由民権運動や実業界への転身に見られるように活動に一貫性がなく、また龍馬という英雄の影に隠れてしまっている事もあって、維新の元勲の中では知名度も低く評価も高くはない。
特に、自由民権運動では政府の買収に応じるなど、同活動家を幾度も失望させている事も、後藤の評価を下げている一因である。一方、余り知られていないが、日本人ではじめてルイ・ビトンの製品を愛用した人物でもある。彼はパリの本店で鞄を購入したそうで、当時のファッションの最先端を行っていたのかもしれない。ルイ・ヴィトンのモノグラム(二つ以上の文字を組合わせた記号・マーク)は日本の家紋に触発されているというから面白い。因みに、「後藤象二郎」の家紋は『藤巴』である。



