Archive: 2010年8月

民主党代表選挙への対応をめぐり、小沢一郎前幹事長の出馬回避の可能性が浮上してきた。菅直人首相と小沢氏との調停役を買って出た鳩山由紀夫前首相が、党運営に当たって混乱を避ける為「トロイカ体制の原点に立ち戻ることが重要だ」と、トロイカ復活を求めたからだ。そもそもトロイカとはロシア語で数字の3、三つ一組のもの、転じて三頭立ての馬車もしくは、ソリの事を言う。皆さんも"雪の白樺並木夕陽が生える 走れトロイカ 朗らかに 鈴の音高く"という一番の歌詞で始まる有名なロシア民謡は、ご存じの筈だ。

それに由来して、3人に権限を分散させた集団指導体制を≪トロイカ体制≫と呼ぶようになった。調べてみる元々は、ソビエト連邦でスターリンの没後に権力が一人に集中するのを防ぐために、書記長を廃止して、第一書記最高会議幹部会議長(国家元首・今の大統領)、首相の3人に権限を分散させたことを指して使われた。1953年スターリン亡き後、ゲオルギー・マレンコフが党第1書記と首相を兼任し権力を掌握したが、集団指導体制を目指すため党第1書記を二キータ・フルシチョフに譲った。最高会議幹部会議長にはクリメント・ヴォロシーロフが就任しトロイカ体制が成立するが、5年後に政争の挙句トロイカ体制は終焉を迎えた。

民主党も今更 ≪トロイカ体制≫でもないだろうが、国内の経済状況が芳しくない事に併せ、国民世論と民主党内の勢力図のズレが、党を割る事が予想される二人の対決を回避すべしとの意見が大勢を占めつつあるのだろう。それにしても、二転三転とコロコロ方針が変わる鳩山と言う男はどんな男なのか?芯がないその政治姿勢に、政治家としての資質を疑わざるを得ない 。菅首相もここで妥協して"小沢傀儡政権"に甘んじ、反小沢の急先鋒である仙石・枝野前原・野田・岡田の意向を軽視することになれば、これこそ民主党が崩壊し、最終的に国民が大御迷惑するのである! 230px-Orlowski_podrozny.jpg Malenkow.jpg フルシチョフ.jpg 200px-Klim_voroshilov.jpg

         <上がトロイカ。左からマレンコフフルシチョフヴォロシーロフの三人

去る27日に柔道を国際スポーツへ導いたオランダのアントン・ヘーシンクが、76歳で亡くなった。彼は13歳で柔道を始め、21歳の時に生涯無敗だった伝説の柔道家道上伯(みちがみはく)に見初められ、徹底的な個人指導を受けた結果、選手としての才能が開花したという。試合開始の際のへーシンクの「さあ来い!」とばかりの手を広げた立ち姿は私も記憶にあるが、何といっても衝撃的だったのは1964年(S.39)の東京オリンピックで日本の神永昭夫を「けさ固め」で押さえこんで勝った時シーンである。

柔術を起源とする柔道は「柔よく剛を制す」の例え通り、小者が大きい者を倒す武術と長い間言われ続けてていた。従って、正式競技として初めて採用された地元開催の五輪の柔道の内、、最も重要視されていた無差別級で、外国人が日本代表を下して優勝を果たした事は、自他共に柔道を「お家芸」と認める日本にとって大変ショックな出来事だった。ところが、神永を下した直後、オランダ関係者が歓喜のあまり、試合場のアントンに駆け寄ろうとした時、彼はこれを手で制して試合場まで上らせなかった行動は、「礼に始まり礼に終わる」という柔道の精神を体現したものとして、切歯扼腕していた私たち日本国民の心を少し和ませたのだった。

一方、当時「神猪時代」と言われ猪熊功と共に両雄として並び称されていた敗者の神永昭夫は、重量級の猪熊功が金メダルを獲得したので、メディアからは『日本柔道の敗北』という批判が柔道界と神永に対して浴びせられた。しかし、神永がヘーシンクに敗れたその夜、新日鉄の上司や同僚たちが好きな酒を勧めに神永の家を訪ねた際、神永は居留守を使うことなく部屋へ招き入れ、ただ一言「ヘーシンクは強かったです」と素直に認め、それ以上は語らず悔し涙を流すことも無かったという。そしてその翌日、神永は何事も無かったように定時に出社し、仕事を始めていたそうだ。

実はこれには後日談が有り、仙台在住の神永のお兄さんと仕事上お付き合う機会があったが、お兄さん曰く当時神永(179cm・102kg)は左膝のじん帯を断絶しており、試合当日は周囲にこの事実を隠し出場するも、決勝戦で体格ではるかに上回るヘーシンク(196cm・120kg)に敗れ去ったという。神永の後輩思いは幾つかのエピソードとして残っているが、彼はは常々、柔道だけではなく社会人としても全うに生きたい、という考えを有していたようだ。「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と言うが彼ら二人は、正しくその典型だろう。

その後神永は、日本代表総監督に就任してバルセロナオリンピックで吉田秀彦古賀稔彦を金メダルに導くも、翌年の1993年に直腸ガンで没している。ヘーシンクの死去で、永い間柔道界に貢献し、歴史を築いた≪心優しい柔道家≫が、二人ともこの世に居なくなってしまった。合掌!!! 

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 <試合場に上がろうとするオランダ人を制するヘーシンク(左)と神永と共に上がった表彰台>

南米チリ北部のサンホセ鉱山落盤事故で地下700メートルに閉じ込められた作業員33人が生存しているというニュースは、全世界の人々に衝撃と勇気をもたらすと同時に、何とも言えない息苦しさを与えている筈だ。作業員は22日に無事が判明するまでの19日間、避難所に備蓄されたツナ缶や牛乳、ビスケットを48時間おきに少しずつ口にし、地下水などで凌いでいたと言う。幸いにして、33人の作業員は約50平方メートルの避難所の他、そこに通じる2キロ近い坑道も有効に使って生活しているようだ。

既に、細い穴を通じて水や流動食空気が届けられているようで、地上の医師団と医療技術に通じている2名が常に連絡取り合っていると言うから多少心強い。但し、空気は薄く、気温35度前後、湿度85%という息苦しい環境で、激しい動きは禁物だし、何より救助期間が4ヶ月程度かかると言うから精神的に持つかが心配だ。今の処、救助に4ヶ月を要す事は彼らに伝えていないそうだが、33人が最も知りたいのは何時そこから地上に抜け出せるかで、何時までも隠しおおせる訳もないだろう。

現場班長の統率下、結束して生き延びてきた33人は、交代で寝泊まりして不測の事態に備えているらしいが、地元の報道によれば、チリ政府は作業員の気晴らしのため、トランプやその他の娯楽道具も可能な限り送る方針だと言う。このニュースを聞いて私は、国際宇宙ステーション(ISS)に約5ヶ月間滞在した野口聡一さんの事を思い浮かべた。野口さんたち宇宙飛行士は、座学を含めた徹底した訓練とシュミレーションで狭い宇宙ステーションに長期間滞在するノウハウを身につけたのである。環境の上で、大きな差異は有るものの、彼らの貴重な経験が役に立たないものだろうか?

それに、世界の技術の粋を集めて一日の掘削距離を倍の40メートルに伸ばし、救出期間を何とか半分の2ヶ月程度に短縮出来ないものかと考えているのは私だけではない筈だ。33人揃っての帰還を願って止まない。

20100826-00000436-yom-000-thumb.jpeg< 地下の避難所に通じる穴に通すため、水等を詰めた筒状のカプセル(左)を滑車でつり上げる救助隊員>

昨日、御茶ノ水の山の上ホテルで午後2時から全国建設機械器具リース業協会主催の関東ブロック「若手経営者との懇談会」を開催した。関東地区1都9県からの若手代表20名と角口会長と副会長の私と小沼氏、そして事務局及びオブザーバー併せて総勢27名の懇談会である。会長の講演と私の挨拶の後、東京の加藤青年部部会長の司会で<信頼される建機レンタル業界を目指して>というメインテーマに絞り、全員の自己紹介並びに各地の状況説明に加え、活発な議論が展開された。出席者の殆どが30~40歳代の創業者の息子さん達だが、協会でのこのような催しは初めての試みである。

休憩を挟んで話題が『社員教育・人材育成』に差し掛かった時、私は彼らに或る質問を浴びせた。私が、或る銀行の支店長から聞いた中小企業の後継者の成功事例の3っつのポイントを引き合いに出し、それに関しどう思うか問うたのである。そのポイントとは、                        

1.小さい頃から創業者である親父の背中を見て育った・・・親父のやり方を側で見て来ているため、いい意味でも悪い意味でも行動の規範となっている。

2.1代1創業・・・代替わりしてから、新たなビジネスを最低一つ立ち上げている。

3.親父の腹心の部下を切る・・・親父に忠実な部下は、必ずしも二代目に忠実ではないため、一線から身を引いて貰い自分の片腕になる人材を外部から連れて来ている。

の3つだそうだが、何れも興味深い事例である。参加者の中には、親父は若い頃から仕事一本で帰宅が遅く、家を顧みなかったから会社に入って初めて親父の生きざまを知ったとか、未だに親父の腹心の部下が高いコストで録を食んでいるとか、様々の意見が出て頗る面白かった。最後に私から協会共通の基本約款作りとそれに乗っ取ったルール順守のj重要性を訴えて懇談会は終了し、懇親会へと移行した。懇親会の席でも雰囲気が和らいだせいか、更に若手ならでの意見が続出し、意義ある会となった。来る10月の19日には、若手経営者との懇談会全国大会を開催する予定なので、どんな意見が出るか今から楽しみである。

P1000059.JPG                    <正面左から私、角口会長、小沼副会長>                     

我が国には、新宿映画祭広島国際アニメーションフェスティバル他 50以上の映画祭が存在するのをご存じだろうか?変わったところでは、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭等も有り、セクシュアル・マイノリティの間では人気の映画祭らしい。ところで今日から新たな映画祭として、平城遷都1300年を機に、奈良から世界に向けて映画を発信しようと≪なら国際映画祭≫が、奈良市で開幕する。日本はもとより世界の映画人および優れた映像作品を招聘するようだが、新人が対象のコンペ部門でグランプリを受賞した監督には、500万円を上限に奈良を舞台にした映画の制作権を与えるそうだ。

受賞監督は日本人スタッフを起用して映画を作り、翌年の映画祭で上映する事になっているそうだ。500万円規模の製作費をグランプリの副賞にするのは、地方映画祭としては珍しいと思う。コンペ部門では、世界中の映画祭に出品された日本人を始めとして、韓国、モンゴル、ぺルー、イスラエル、ドイツなど国際色豊かな監督作品が優劣を競うらしく、結果が楽しみだ。その他にも今回は、何れも奈良を舞台にした、山崎 都世子監督作品の「びおん」と中国人の趙曄氏がメガホンをとった桃井かおり主演の「光男の栗」が世界に先駆けて公開されると言う。

最後に、エグゼクティブディレクターを務める奈良市在住の河瀬直美監督のメッセージをお伝えする。     『大好きな奈良を世界にもっと伝えたい!~2010年、奈良は平城遷都1300年の記念すべき年を迎えます。この歴史的な年を機に、日本国内はもとより世界中に奈良を発信するべく、なら国際映画祭を開催します。奈良は、奥深い伝統文化と荘厳な祈りの場、そして美しい自然が調和する、世界にも稀な固有の風景を保っています。世界中からたくさんの人々がこのまちに集い、言葉を交わし、食べ物を食べ、暮らしをまるごと体験する・・・奈良の豊かな地域性を感じながら映画を鑑賞できる・・・そんな映画祭にしたいという想いで取り組んでいます。そして、奈良に住む人々にとってもこの映画祭が国際的な交流の機会となり、地域が盛り上がり、このまちを大好きな子どもたちが、もっともっと増えてほしいと願っています 』  

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                 <今日25日に開催される『レッドカーペット』の予想図>

石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ

この辞世の句と、「絶景かな、絶景かな。春の眺めを値千金とは小さいたとえ・・・・」と、南禅寺山門上で市中を眺めて言ったセリフ(並木五瓶作「金門五山桐」)で有名な石川五右衛門が、文禄3年の今日8月24日(今の暦では1594年10月8日)に、京都三条河原で一子と共に釜で煎り殺された。歌舞伎の世界では五右衛門は、晩年老醜をさらけ出し千利休や一度は後継者に指名した豊臣秀次とその室及び子女三十九人を公開処刑するなどの蛮行を行った豊臣秀吉を討とうとする義賊として描かれている。

史料に残された稀代の大泥棒石川五右衛門の記録は、いずれも彼の処刑に関わるものだけらしい。まず、安土桃山時代から江戸初期の20年間ほど日本に貿易商として滞在していたアビラ・ヒロンの記した『日本王国記』に、かつて都(京都)を荒らしまわる集団がいたが、15人の頭目が捕らえられ京都の三条河原で生きたまま油で煮られたとの記述があると言う。又、これに宣教師として日本に滞在していたペドロ・モレホンが注釈を入れており、「この事件は1594年の夏である。油で煮られたのは「Ixicava goyemon」とその家族9人乃至は10人であった。彼らは兵士のような形をしていて10人か20人の者が磔になった」と記している。

これに依って、石川五右衛門が実在の人物である事が立証されたようだが、五右衛門の最期には面白いエピソードが有る。この"釜ゆで"に付いていくつか説があり、子供と一緒に処刑されることになったが高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、途中まで持ち上げていたが、余りの熱さに最後には子供を下敷きにしたと言う説もある。最近も、猛暑と飢餓で二人の幼い子供たちを死に至らしめた母親が居たが、彼女は石川五右衛門に勝るとも劣らない極悪非道な人間かもしれない? 250px-Excecution_of_Goemon_Ishikawa.jpeg                    <処刑される石川五右衛門を描いた錦絵>

313503-1.jpegホームコースでのラウンドで昨日、「ホールインワン」が出た。と言っても私ではなく同伴者の中村さんが、やさと国際ゴルフ倶楽部のアウトの4番172ヤードショートコースで見事に放り込んだのだ。実際はピンが手前に切ってあったので、165ヤード程度だったと思うが、6番ウッドで打ったボールが真っ直ぐピンに向かい、2~3回バウンドした後、転がってホールに吸い込まれた。昨日は、何時ものメンバーの石井さん、佐藤精四郎さんと、たまに加わる中村さんとのラウンドだった。彼が打った後、グリーンに一番に辿り着いた私が、ホールを覗くと案の定ボールが収まっていたのである。

中村さんは初めての「ホールインワン」だというが、佐藤の"精ちゃん"は、過去に一度達成しているらしい。残念ながら、約40年近くやっている私と石井さんは、未だ一度も経験ない。このショートは、他のメンバーとバックティで回る事も多いが、バックでは197ヤードとなりパーを取る事さえ難しいホールだ。中村氏は足立区内の有力な土建屋さんの社長さんなので、一説には数十万円~100万円近くかかるともいわれている豪華な祝賀式(*^_^*)が楽しみだ。因みに彼は、100万円のゴルファー保険に加入しているそうだが、手出しは確実だろう!勿論証明してくれたキャディさんにも、ご祝儀は手渡したようである。

このような仕来たりは、1888年スコットランドにおいてホールインワンしたプレイヤーが、キャディに3シリングをチップとして渡したという記録が始めらしい。外国では周りの人が祝ってくれる事はあっても、自分の費用で大々的にパーティをすることはなく、植樹や祝賀会までするのは日本だけだそうだ。又、プロのトーナメントにホールインワン賞があるのも日本だけのようで海外では聞いた事がない。記録によると、日本では1906年6月、神戸・六甲山ゴルフコースにてドルフィンガーと言う人が始めて「ホーウインワン」を記録したらしい。 ホールイン.JPG<出だし9,7と大叩きした中村さんのスコア欄に生まれて初めて(1)の数字を記入しました。でも決してクリックして私のスコアを見ないで下さい!(--〆)>

アメリカのカリフォルニアには、 59回という記録を保持している人がいるらしいが、是非一度その腕前を観てみたいものだ。最年少のホールインワン記録はマット・ドレイパーの5歳212日、 最高齢のホールインワン記録はエルシー・マクレーンの102歳(2007年4月5日に達成・100ヤード、パー3)だと言う。まだまだ私にもチャンスが有りそうなので、50万円のゴルファー保険を100万円にアップしようと考えているところである! (●^o^●)(●^o^●)(●^o^●)                         

或る銀行系のリース会社さんから、H19年物の≪レクサスLS600HL中古車・車検切れ≫を買いませんかとのメールが入った。色は黒で、ハイブリッド車である。以前は、日本での最高級車はベンツと決まっていたが、最近はレクサスに歩が有るようだ。トヨタレクサスは値引きしないので有名だが、恐らくこの車は新車で1200~1300万円はするのではなかろうか?数社での競争入札になる見込みだが、最低価格は520万に設定されている。私は、ダンプ始めトラック関係には或る程度精通しているが、乗用車の相場は判らないので、専門家に聞いたところ、オークション相場は600万円程度らしい。

今日その専門家を連れて"目の保養"を兼ねて、走行距離約4万8千キロの現車を確認するする予定だが、気に入ったら果たしてどうしたら良いもんか、今悩んでいるところだ。勿論指し値が他社より低ければ、ゲットできない。もし落札したら、売るか自分で乗るしかない。現在私は、約4年前に購入したソアラの4300CCのスポーツタイプに乗っているが、些か飽きがきた。私が乗る事も視野に入れ、現車をチェックする積りでいる。 過去私は、スカイラインコロナシーマ(何れも中古)、ボルボソアラの5車種に乗っているが、"最後はレクサスか?"である。

今日の新聞に、僅か破綻から1年で再上場に漕ぎつけたGMの記事が載っていた。今まさに世界の自動車業界のビッグ3は、ハイブリッド車で先頭を切るトヨタと低燃費ディーゼル車優位を保つフォルクスワーゲン、ヤンキ―な大型車に固執するGMと言う事になるだろう。建設機械同様、これからの乗用車のシェアはアジアを制した者が、覇権を握るだろう。先ずは、この≪レクサスLS600HL中古車≫に応札する積りだが、その結果は25日頃に判明するので楽しみにお待ちあれ!(●^o^●)

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来日しない数少ない大物女優と噂されていたジュリア・ロバーツが17日、初来日を果たした。17日公開の主演映画『食べて、祈って、恋をして』のプロモーションのため、自家用ジェットで成田空港に降り立った。この映画は、女性作家エリザベス・ギルバートが自らの経験を綴った自伝的小説の映画化作品で、ロバーツ扮するジャーナリストのエリザベスが恋愛依存症の自分に嫌気がさし、"旅の間は恋をしない、一人身を貫くこと"というルールを決め、イタリア、インド、インドネシアの3カ国を巡る1年の旅に出るという物語。彼女の真骨頂を発揮した演技は、早くもアカデミー賞候補と噂されるほど評価が高いようだ。

ジュリア・ロバーツといえば、『プリティ・ウーマン』(1990)の大ヒットで一躍トップスターに登りつめた人気女優。その後、やや人気が低迷した時期もあったが、ラブコメディ『ベスト・フレンズ・ウェディング』(1997)あたりから人気が回復。さらに、『エリン・ブロコビッチ』(2000)でアカデミー賞主演女優賞を受賞し、演技力でも高評価を得た。『プリティ・ウーマン』は、同じ年に発表された『ゴースト』同様、私も観て大いに感動したのだがゴーストの主演女優デミ・ムーアのファンになったが、プリティでは、寧ろ男優のリチャード・ギアを好きになり私にとってロバーツは今一だった。

その理由は、彼女の口が大きいからだ。欧米の女性は総じて日本人より口が大きいようだが彼女は特に大きく、大袈裟だが喰い殺されそうな錯覚?に陥る。私は女優の三大ビッグマウスに彼女とアンジェリーナ・ジョリーぺネロぺ・クルスを挙げるている。又、彼女たちは1本の撮影で2000万ドル級のギャランティを稼ぐ俳優だから、逆に言ううと大物女優は口が大きくなきゃいけないという事になるだろう。イベントが終了する20日以降旦那と京都観光他日本を観て回るそうで、日本嫌いという噂を払拭したクリント・イーストウッド同様ロバーツも宗旨替えしてくれれば嬉しいものだ。

私も決して嫌いな女優さんではないので、注目の『食べて、祈って、恋をして』は鑑賞する積りである。 EatPrayLove01.jpeg     <ぺネロぺと離婚したばかりの共演者ハビエル・バルデム(左)とジュリア・ロバーツ

盆休みの間に、或る小さなレンタル業者が≪夜逃げ≫した。情報を察知し、昨日の夕方先方に行ってみると、弁護士の張り紙がしてあり一部の機械と車輌を残したまま、もぬけのからになっていた。当社は手形債権があるが、かなり昔から経営者を知っていたので信用したのが迂闊だった。数社債権者が、集まってきたがやはり寝耳に水のようである。経営者の自宅に行ってみると、50過ぎのお姉さん居たが、事情を知らないようで埒があかない。猛暑の中、先方のヤードの中をチェックしたがめぼしい物は持ち去られていた。事務所は鍵がかかっていて開かない。今日弁護士に連絡をとり対応策を練るしかないか?

従って今日のブログは気が乗らず、この位にしておきますが、社員の大島君、時田君、平河君、寺田君らが手際良く動いてくれたんのは何とも頼もしく有難かった。

 

私は大の映画ファンである。それも洋画しか見ない。私が最も好きな俳優が、イタリア系アメリカ人であるロバート・デニーロだ。同じくイタリア系アメリカ人俳優のシルベスタ・スタローンアル・パチーノなども好きだが、やはり『20世紀を代表する演技派俳優』と呼ばれるデニーロが一番好きである。彼は67年前の今日8月17日にニューヨークのマンハッタンで生まれている。デニーロは、2度のアカデミー賞受賞を誇り、過剰なまでの役作り≪デニーロ・アプローチ≫は多くの役者に強烈な影響を与えたと言われている。

役作りのために彼がした事の例をいくつか挙げると、

●『ゴッドファーザーPART II』では、シチリア島に住んで、イタリア語をマスターした後に、マーロン・ブランドのしゃがれ声を完璧に模写した。

●『タクシードライバー』では3週間、ニューヨークでタクシードライバーとして働いた。

●『ディア・ハンター』では、物語の舞台となったピッツバーグに撮影数ヶ月前から偽名で暮らしていた。さらに鉄工所で働こうとしたが、現地の人に拒否されたという。

●『レイジング・ブル』では体重を20キロも増やして役に臨んだが、このためにイタリアに赴いて、現地のあらゆるレストランを食べ回った。

●主人公がユダヤ人の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では、ユダヤ人家庭にホームステイした。

●『アンタッチャブル』では実際に頭髪を抜いて、アル・カポネを怪演した。体重は直後に別の映画出演が決まっていたので太るわけにいかず、ボディスーツを着用した。だが、顔だけは太らせて撮影に挑んだ。

●『ミッドナイト・ラン』では、マーティン・ブレストと共に実際の賞金稼ぎと行動し、捕獲の瞬間、張り込み、捜査の方法などを経験した。

勿論これらの作品は全て見ているが、私は1991年に製作された『 ケープ・フィアー』のマックス・ケイディ役が強烈な印象として残っている。これは、以前ロバート・ミッチャムが演じた『恐怖の岬』のリメイク版だが、デニーロの悪役姿が強烈であった。斯くの如く、正直な人物像と悪役を見事に演じ分ける数少ない俳優なのだ。日本でも三国連太郎が、『異母兄弟』(1957年)という作品で老人の役作りのため上下の歯を10本抜いたという有名な話が、役者魂とはこういう人たち事を言うのだろう。

久しくデニーロの新作を見てないが、近々封切りされる映画が有るらしく楽しみにしている!

 

robert_deniro.jpeg                        <最近のロバート・デニーロ> 

我が社の「盆休み」は、13日~15日だった。今年は特に避暑地に行く訳でもなく我が家で過ごしたが、二人の息子たちが里帰りし、何時になく賑やかな数日間だった。但し、長男は嫁と孫娘が嫁の両親たちと長野の別荘に逗留しているため、1人での里帰りである。14日の土曜日に息子たちと私のホームコースである「やさと国際ゴルフ倶楽部」で、ゴルフに興じた。息子たちと一緒にゴルフをするのは、去年の暮れ以来である。メンバーには、息子たちもよく知っているトラックディラーのS部長にも加わって頂いた。

ここ最近、ショートパットが不調だと息子たちにこぼしたら、二男が『お父さんの打ち方が悪いんだ、ショートパットは、ヘッドをホールに向けて出さないと外す事が多いんだよ!』と教えてくれた。確かに言われた通り打ってみると、今迄不安定だったパットが面白いように入った。但し、フルバックでのプレーは終わってみると、二人の息子の後塵を拝してしまった。前の日、同じくフルバックで85ストロークで回った飛ばし屋のS氏も、打って変わったように不調で、私より更に2ストローク後れをとってしまった。

家に帰って、自分でPCのエクセルで作ったスコア集計表にインプットしていたら、長男が側にやって来て、「スコアを付けるなら『GDO』(ゴルフダイジェストオペレーション)が便利だよ!』と教えてくれ、その場で手際良く私を会員登録してくれた。私が作ったスコア集計票は、コース名や同伴者の名前や天候に加えて、平均ストローク数、平均パット数、パーやボギーの数などが判るようになっているが、この『GDO』を利用すれば、更にフェアウエイキープ率、パーオン率、会員登録中の順位などプロと同様のデータが蓄積できると言う。

何時までも子供だと思っていた息子たちも、もう直ぐ35才と33才と立派な大人、少し癪だが『老いては子に従え!』とはよく言ったものである。

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<二男の息子蒼太郎の3歳の誕生祝いでイタリアンレストランに入る二人の息子たち(右が長男で左が二男)/親に似て二人とも背が高く、ラグビーをやっていたせいか立派な身体をしている>

今日はお客様のコンペで≪ザ・ロイヤルオーシャン≫というゴルフ場に来ている。茨城県鉾田市にあるゴルフ場で、近くには「太洋村」があるところで遠いため、昨日から来て併設されたロッジに泊まっている。ロッジと言うより、ホテルと言ったほうがピッタリで、ツインの部屋はシティ・ホテル並みである。バブル期に建っただけあって、このコースのキャッチフレーズが、 「広い空 本格コース、充実の施設」 と南国の気分を醸し出す立派コースのようだ。又、フルバックからは7860ヤードありコースレートも78.2と全米プロ並みのコースである。

今日は、ワイフ同伴でプレーするためスコアメイクに苦労すると思うが90切りを目指して頑張る積りだ。尚、今日から15日までは盆休みで私のブログも休みまーす。

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             〈今朝5時に撮影したクラブハウスとネプチューンの18番グリーン〉

120px-Borsalino_Indy.jpeg今日は『帽子の日』の日である。「ハッ(8)ト(10)」の語呂合せからきている。帽子は、頭に被る衣類の一種で、主に頭部の保護やファッションの目的で用いられるが、古くから特定の頭部の装身具として、その人物の社会における身分を示す物などを含め数百種類あると言われている。昔、親父がソフト帽(フェドーラ)を被って外出する姿を思い出すが、今時街中で若い人以外帽子を被っている人を見かける事は稀である。私などは、学生時代以来日除けの為のゴルフ帽を被るくらいだ。

最近女性は勿論の事、男性もファッションで帽子を被る人が増えてきたし、芸能人も帽子を被ってテレビに出てくる事が多くなった。しかし、私たちの年代では屋内で帽子を被る事を良しとしない。益して、子供はまだしもレストランで帽子を被って食事をしている若者を見るとムカつく。19世紀~20世紀にかけてヨーロッパで山高帽が紳士の正装と認識されていた時代は、「もしその人物が家の中に入って来て、帽子を脱ぐようなら真の紳士。帽子を脱がないのなら紳士のふりをしている男。そして帽子をかぶっていない人物は、紳士のふりをすることさえあきらめている男。」と言われ帽子の重要性が説かれた時代があった。

親父は晩年、ベレー帽を愛用していた。私も一瞬ながら若い頃に『スエードのハンチング』を被った事があったが、頭が大きくて似合わないのでやめた。帽子の似合う人は、男女共七頭身以上の人だと信じて疑わない。冬場にレストランに入って外套とフェドーラを脱いでボーイさんに手渡しする背の高い男性は、映画の主人公のようで格好いいものである。 Chapeaux_en_peau_de_castor.jpg

<左上:インディ・ジョーンズスタイルのボルサリー・フェドーラ/中世から19世紀かけて被られていた帽子の数々>

私が腕時計好きというのは、以前にもこの場で書いた事が有る。今回、「ヤフーオークション」で写真の「CORUM アドミラルズカップ メンズ」の二つの商品にターゲットを絞り入札を開始した。結果は、シルバーの安い方だけ何とかゲットした。定価400万円?の「ダイヤモンド巻き18KTゴールド無垢」の方は208,000円でさしてみたが、締め切りが今日の午前1時すぎだったので寝てしまい、結局落とせなかった。どうやら220,000円位で落ちたらしいが、実のところ手元不如意だったので(--〆)、ホットしているところだ。

現在余り高い物はないが、ローレックスオーディマピゲピアジェカルチェオメガ、フランク・ミュラーダンヒルウオルサムジバンシーブレン他10数種類の腕時計を保有している。今回コルムの「アドミラルズカップ」に拘ったのは理由が有る。「アドミラルズカップ」とは、世界でも有名なイギリスのヨットレースで、1977年に43才だった石原裕次郎がチャレンジしたと聞いた事がある。この時計はご覧の通り、万国旗が時刻を刻んでおり、一世を風靡したデザインである。サラリーマン時代に私は、同じシルバーを持っていた。否、実の処そのコピーを持っていたというのが正しい。

何処か外国で手に入れたと思うが、ほぼ正確に時を刻んでいたしデザインが気に入っていたので大事にしていたが、ゴルフ場の風呂場で失くしてしまった。今回落札したものは、多少傷が有るが、失くしたものとほぼ同じデザインなので手元に届くのが、楽しみだ。因みに今回は、「ウイル&スコット」の木目文字盤時計も落札(安くて言えません!)したが、見たい人は会社に寄ってみて下さい。この他にも、ヴァシュロン・コンスタンチンパテックフィリップショーメブシュロンA.ランげ&ゾーネブレゲジャガールクルトパネライカールF.ブヘラ他、欲しくて涎が出そうな時計は沢山あるものの、高価過ぎて先ず一生手に入れる事は叶わないだろう。

近々「池袋東武」でワールドウオッチフェアが開催される。目の保養が出来るので楽しみだ!

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     <上が定価400万円の「CORUMアドミラルカップ18KTダイヤ巻き」、下が私が落札したコルム>

今、日本が世界で埋没しつつある。先の6月にカナダのトロントで開催された『G20』でも、一国だけ除けものにされた格好である。それもこれも、2006年の9月から現在までの4年間に5人も一国の総理が変わるようじゃ信用される可(べ)くもない。従って当然、経済政策も一貫性を欠き、株価も一向に上昇せず、我が国経済は閉塞状態にある。首相がころころ変わる原因の一つに、名参謀の不在が挙げられる。過去の歴史でも、苦難を乗り越えてきた武将や宰相には、必ず名参謀や軍師が存在していた。

例えば、武田信玄の伝説的な軍師である山本勘助豊臣秀吉黒田官兵衛(後の如水)、或いは『三国志』で有名な諸葛亮孔明(しょかつりょこうめい)などである。特に諸葛孔明は、蜀漢の建国者である劉備玄徳(りゅうびげんとく)に「三顧の礼」をもって迎えられたとの事。それだけ、一国の主にとって諸事悩みが多く、的確なアドバイスを具申する側近の存在が大きいのである。今の菅内閣では、仙石由人官房長官がそれにあたるのだろうが、もうひとつパッとしないし、到底その任ではない。これは企業でも同じ事が言える。

「松下電器(現パナソニック)」の創業者である松下幸之助には高橋荒太、「ホンダの」本田宗一郎には藤沢武夫、「ソニー」の井深大には盛田明夫、「サントリー」の鳥井信治郎には竹鶴政孝、そして「伊藤忠商事」の越後正一には「瀬島隆三」などが、成長期に社長を支えたのである。元商社マン?の私としては、特に瀬島隆三には興味が有るところだ。元陸軍中佐だった瀬島は、1956年に11年間のシベリア抑留生活から帰還後設立直後の自衛隊のの再三の誘いを断り、シベリアからの復員兵の就職斡旋に奔走した後、1958年伊藤忠商事に入社する。

3年後には50歳で業務部長に抜擢され、その後専務、副社長、副会長とトントン拍子に出世し、1978年には会長に昇りつめたのである。高度成長期でもあったが、陰日向の瀬島の働きによって社長の越後は「繊維相場の神様」と呼ばれ、在任中に資本金が6.5倍、社員が2.7倍、売上10倍と凄ましい発展を遂げさせた。中曽根内閣のブレーンとしても活躍した彼は、帝国陸軍の参謀本部の組織をモデルにした「瀬島機関」と呼ばれる直属の部下を率いて、繊維を扱う一商社に過ぎなかった伊藤忠を「総合商社」に伸し上げたのである。

瀬島は山崎豊子の小説『不毛地帯』の主人公・壱岐正中佐、『沈まぬ太陽』の登場人物・龍崎一清のモデルであるともいわれ、『二つの祖国』では実名の記述が見られる。2007年に老衰で没した彼は、晩年にテレビの番組で「瀬島機関」の存在そのもの否定し、「マスコミの作り話」と語ったそうだが、果たしてそうだろうか?さて皆さんの会社に、「瀬島的人材」は存在しますか?

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  <左;軍隊時代の瀬島/中;伊藤忠に就職した頃/右;新聞の死亡記事>

昨日、巨人の熱狂的なファンである二男篤嗣(あつし)と巨人vs.阪神戦15回戦を見に行った。5月の西武との交流戦に続く、今年2回目の巨人戦の観戦である。結果は、阪神が安打数は巨人より1本少ないものの、8対4で勝利して首位を奪還した。篤嗣が球場に見に来ると必ず巨人が負けるらしく、それをアンチ巨人の私のせいにして昨日は力なく帰宅した。今日彼は、決して新聞のスポーツ欄を開かない事だろう?それにしても何と、ほぼ満員の東京ドームの三塁側外野席を中心に陣取ったタイガースファンの声援の凄まじい事か!

全体の四分の一程度の観客数ながら、その応援は巨人ファンのそれに比べて遜色ない、いや寧ろ凌駕するほどの大声援である。選手たちも「選手冥利」に尽きるだろうし、監督も優勝でもすれば関西では英雄になれることも理解できよう。但し、成績不振に陥ると逆に大変だろうと思う。阪神球団の応援歌としては、「六甲おろし」が有名だが選手応援歌も、歌う応援団の調和がとれていて見事である。ここで何人かの応援歌の歌詞を紹介してみよう。

鳥谷 敬(遊撃手/5-2打点2の大活躍)・・・<夢乗せて はばたけよ 鋭いスイング魅せてくれ さあ君がヒーローだ 鳥谷敬>                                                  

平野恵一(二塁手・真弓の再来?/4-3打点4の大活躍)・・・<白球捕らえて 突撃だ平野 期待応える ガッツで挑め>

新井貴浩(三塁手/4-1)・・・<一振りにかける 男新井 熱きその想い スタンドへ>

C・ブラゼル(一塁手・バースの再来?/5-1)・・・<閃光見せろ 狙え場外 グレイトパワーブラッズ フルスイング>

金本知憲(外野手・衰え著しく今年で終わり?)・・・<鍛えたその身体 あふれる気迫 さぁここまでぶち込め ライトスタンドへ>

城島健司(捕手・今年は城島効果か?)・・・<燃える闘志を バットに込めて 打てよ城島 炎のアーチ>等々である。中身はどうしても似通ってくるものの、誰が考えるのか知らないが見事なものである。

タイガースは現在、勝率は5割8分9厘(53勝37敗)とそう高くはないものの首位を走っており、3番マートン・4番新井・5番ブラゼルのクリーナップは、巨人に比べても見劣りしない。特に本塁打数が92試合時点で108本と、2003年(141本)及び2005年(140本)の優勝年を抜くのは確実であり、今年は5年ぶりにひよっとするひよっとするかもしれない。特に、2008年にオリックスから移籍してきた平野内野手の活躍が見逃せなくなってきているため、鍵は彼の活躍と応援団の声援に掛かっているように思うのだが? 100804_192503.JPG

                         <三塁側応援席が熱い!>

5eddb62ee0d451a2.jpeg1897年(明治30年)の今日、NHKの大河ドラマ『龍馬伝』でもお馴染みの公武合体派の急先鋒として、土佐勤王党を弾圧し壊滅させた旧土佐藩の「後藤象二郎」が60才で亡くなっている。後藤は土佐藩の上士で馬廻格・後藤助右衛門正晴(150石)の長男として土佐郡高知街片町に生まれた。少年期に板垣退助岩崎弥太郎ら共に義理の叔父・吉田東洋の少林塾にて学んでいる。『龍馬伝』の劇中では、龍馬の毒殺を試みたり(後に和解)、下士の岩崎弥太郎を苛めたり、或いは叔父の東洋を暗殺した武市瑞山(半平太)らを切腹させるなど敵役として登場する。

実際の後藤は、弥太郎の弟で三菱の2代目総帥弥之助に娘の早苗を嫁がせたり、公武合体から非佐幕へと政治姿勢を転換させ、幕府の要人で土佐藩主の山内容堂大政奉還策進言し、明治維新の実現に寄与した。しかし、同策が「坂本龍馬」の発案である旨を述べなかった事から、後藤が坂本の功績を横取りしたという汚名も蒙っている。又、維新後は政府の要職を歴任したほか、自由民権運動や実業界への転身に見られるように活動に一貫性がなく、また龍馬という英雄の影に隠れてしまっている事もあって、維新の元勲の中では知名度も低く評価も高くはない。

特に、自由民権運動では政府の買収に応じるなど、同活動家を幾度も失望させている事も、後藤の評価を下げている一因である。一方、余り知られていないが、日本人ではじめてルイ・ビトンの製品を愛用した人物でもある。彼はパリの本店で鞄を購入したそうで、当時のファッションの最先端を行っていたのかもしれない。ルイ・ヴィトンのモノグラム(二つ以上の文字を組合わせた記号・マーク)は日本の家紋に触発されているというから面白い。因みに、「後藤象二郎」の家紋は『藤巴』である。

31f399e1af32bc74.jpeg kuro_2.jpeg <晩年の後藤象二郎と家紋の『藤巴』>

bi-ru.jpeg夏真っ盛り、ますますビールが美味しくなる季節である。テレビのニュースによると、最近復活してきたビアガーデンやビアホールでは、かなりのスペースを女性たちの一群が占拠?している姿が目立つという。聞くところによると、不景気で男性軍には軍資金が乏しいのと、若い人たちが群れてお酒を飲むと言う事自体苦手らしい。ビール業界は、1987年にアサヒが発売した『スーパードライ』が大ヒットした事を受け、翌年から他のビールメーカーが次々とドライビールに市場に参戦した結果、「ドライ戦争」が勃発した。2009年度は久し振りに、かって60%以上のシェアを誇ったキリンが9年ぶりに王座を奪還したらしい。

或る社労士さんのサポートレターの7月号に依ると、我々は仕事を切り上げた後に行きつけの飲み屋さんに寄ると、≪とりあえず、ビール!!!≫と言うことが多いと書いていた。「とりあえず」とは取って付けたような言葉、即ち『間に合わせ』の意味で美味しいビールを"RESPECT"してなくて?失礼だ。そして、その対象は『とりあえず枝豆!!!』と枝豆まで及ぶのである。確かに枝豆は、カロリーが少なく我々メタボに優しく味覚もビールにピッタリなのだ。オマケに枝豆に含まれるメチオニンという成分がアルコールを分解するらしい。

ビールの消費量は、やはり東京や大阪、名古屋などの人口密度が高い大都市圏が上位に位置している。ところが次にランクされるのが、面白いことに日本酒の生産地である新潟、名古屋、石川辺りの裏日本だそうだ。これはどうも、美味しい枝豆が獲れる産地だという事が関係しているらしい。7月29日のブログで、私とお酒との出会いはサントリーの「キャッシー」だと記したが、実はその前にビールがあった。夏場、ステテコ姿で栓抜きで栓を2.3度叩いて空けたビールをコップに注いだ親父から、小学校時代ほんの少し飲ませてもらったのが最初だった。

ビールの美味しい注ぎ方は、冷えたコップに成るべく高いところから開けたてのビールを注ぎ、泡がすこし小さく落ち着いてきた頃に真中に、チョロチョロと表面張力でいっぱいになるまで注ぐのがコツだそうだ。しかし、ここで告白するが、数週間前に痛風が出たため私は残念ながら、発泡酒で我慢している。あれ程、敬遠していた発泡酒で涼をとっている私が可哀そうだ。(--〆) 早く飲み屋さんに行って、≪とりあえず、ビール!!!≫と言いたいものである。 newpag1.jpga3aa1i4.jpeg

                        <美味しいビールの注ぎ方>

mk_map.JPG昨日長男家族が我が家に来たので、長男の中学時代の友人が経営する柏駅近くの地中海料理店「ポルチ」に行って昼食を食べた。食べたものは、スペイン東部のバレンシア料理パエリアpaella/フライパンという意味)、オムレツ料理のトルティージャ(tortilla)、海老のニンニク炒め (gambas al ajillo) などである。私は、イタリア料理同様スペイン料理が大好きだ。共に我が国と同じように海に囲まれ国々でシーフード料理が美味しく、ラテン系の陽気な民族が住む国々である。

今夏休みで多くの人達が海外に旅立っているが、今私が最も行ってみたい国の一つがスペインだ。過去私はアジアでは、台湾、韓国、中国、タイ、シンガポール、マレーシア、フィリピン(セブ)、グアムに、アメリカ大陸ではカナダ、アメリカ(サンフランシスコ・ラスベガス)に、ヨーロッパではイギリス、フランスに行った事が有るが、スペインやイタリアには行った事がなく、特に情熱の国スペインは憧れの地である。歴史的にも古い国で、3万5000年前にクロマニョン人ピレネー山脈を越えて半島へ進出し始めている。有史以前の最もよく知られた遺物が北部カンタブリア州アルタミラ洞窟壁画で、これは紀元前1万5000年の物である。

近代では、スペイン帝国時代に強力な勢力を誇ったスペイン艦隊や1939年から約30年以上も続いたスランシスコ・フランコ総統の独裁時代も、つとに歴史的に有名な出来事である。画家のピカソダリ、或いは「ドンキホーテ」を書いた小説家セルバンテスが生まれた国でもある。首都がマドリードで、バルセロナバレンシアセビリアサラゴサなども有名な都市である。特に、バルセロナで1982年に着工し未だに建設中の協会「サグラダ・ファミリア」(聖家族の意味)は、是非一度見てみたい建物である。

ところで皆さんは、今年の夏休みに何処へ行かれますか?私ですか?それは秘密です。(●^o^●)

150px-Sagradafamilia-overview.jpeg                   <バルセロナに建設中の「サグラダ・ファミリア」>