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6月23日(水)   ≪プレトリアの激闘・・・日本惜敗!≫

午前2時過ぎにその戦いは終了した。サッカーW杯でベスト8をかけて戦った日本対パラグアイ戦は、延長戦でも決着がつかずPK戦にもつれ込んだ。結果は日本の3番目のキッカーであるデフェンダー駒野友一選手(28才)が蹴ったボールがゴールポストの上のバーを叩き無情にも夜空に舞い上がり、4人目の本田が決めたものの惜しくも敗退した。駒野選手を責める事が出来ないが、日本国民にとっては、何とも無念な敗戦である。関東地区のテレビの平均視聴率が、夜中にも拘わらず57.3%、瞬間最高視聴率が何とTBSの歴代NO.1の64.9%を記録したというから驚きである。

サッカーの試合で決着がつかずPK戦になる時、蹴る選手や受けるGKはどんな心理状態になるのだろうか?と時々疑問に思う事が有る。特に今回、駒野選手が蹴る段になってテレビの解説者の金田氏が不安そうに「駒野君思いっきり蹴ってくれ!」と言うような事を口走ったのが、事態を予想してか不安に拍車をかけた。PK戦の失敗と言えば、思い出す偉大な選手が1人居る。それは「イタリアの至宝」とか「偉大なるポニーテール」と呼ばれたファンタジスタ、ロベルト・バッジオ選手(1967年~)である。

1994年のW杯アメリカ大会に於ける決勝進出までの彼の活躍は、今でも語り継がれている。決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦では、終盤に彼のゴールで追いついた後同じく彼のPKで辛勝した。続く準々決勝のスペイン戦でも決勝点を、準決勝のブルガリア戦でも2点を彼の足で叩きだし、決勝戦に駒を進めた。決勝は強豪ブラジルとの対戦となったが、互いに譲らずワールドカップ決勝史上初のPK戦となった。ブラジルがリードを保ったまま最終キッカーであるバッジョの番となるが、彼はゴール左上にはるか高く打ち上げてしまう。これによってイタリアは優勝を逃したのである。

当時ブラジルでは、バッジョのシュートは空高く吸い込まれていったことから、同じ年に悲劇の死を遂げた同国のアイドル、「アイルトン・セナの手」が掴み取ったと噂された。というもの。一方イタリア国内では、「筋肉疲労と極度の緊張、暑さ」から失敗した報道された。当のバッジョ本人は、かなりの日本通であることから、「仏陀からの究極の問いかけである」と言ったそうだ。ちなみに、バッジョは未だ答えを見つけることはできておらず、さらにはあの出来事をまだ夢で見ることも幾度となくあるという。このとき、腰に手をあててうなだれるバッジョの後姿が撮影された。この一枚は、これまでの数多あるスポーツに関する写真の中でも最も美しく、最も儚い写真であると評されている。

1998年のフランス大会では10番のエースナンバーは、デル・ピエロに譲ったが大活躍したのはやはり31才になったバッジオだった。PKもことごとく決め、4年前のトラウマを払拭したが、準々決勝のフランス戦でやはりPK戦となり、ルイジ・ディ・ビアジョが外し何と「因果は巡る」で3大会連続のPK戦負けとなったのである。駒野友一選手もアメリカ大会のバッジオとほぼ同じ年齢である。苦しいだろうが胸を張って帰国し、バッジオ同様4年後のブラジル大会で「捲土重来」を目指すべきである。 komano.JPG

                <PKを外してうなだれる駒野選手を優しく慰める岡田監督>