6月23日(水) ≪「ボーリング大会」に昔を偲ぶ!≫
昨日、東京建設機械リース業協会千葉協議会の「ボーリング大会」が千葉市中央区の千葉リバーレーンで開催された。昨年に次いで2回目の開催であるが、今回は何と昨年より約40名増と大盛況で、レンタル業者である正会員とメーカーさんや商社さん等の取引業者、所謂賛助会員併せて26社128名(プレイヤーは124名)の参加となった。1フロアー31レーンを借り切って各々2ゲームを投げての競技とし、4人一組の団体戦と個人戦、そして女子(HDCP=1ゲーム20ピン)も25名参加してくれたので女子の個人戦も行った。
結果、団体戦は1ゲーム142点平均のトータル1136点のチームが優勝、個人戦は239ピンのハイスコアーを叩きだしたK氏がトータル394点で優勝、そして女子の部はI嬢が、トータル295点で優勝した。私は恥ずかしながら、トータル242点で個人戦71位、団体戦は同組の二人の方が頑張ってくれたお陰で堂々?の7位だった。我が社から参加した他の4人の連中も頑張ったようだが、残念ながら等外だったようだ。ボーリングといえば我々『団塊の世代』は、ボーリング世代と呼ばれる事がある。
思い起こせば、1970年前後には数百メートルごとにボウリング場があったほどボウリング・ブームと呼ばれる流行ぶりを示した。当時は、男子プロでは公認パーフェクトゲーム25回の記録を持つ矢島純一(1945~)や女子では、今は亡き須田開代子プロ(1938~1995)、現ボーリング協会の会長である中山律子プロ(1942~/1971年に3ゲームトータル824点の世界記録達成)たちが毎週テレビに出ずっぱりで、その腕前を競っていたものだ。私も学生時代その影響を受けて、凝った時期があり10ゲーム連続で投げたことも有る。確かハイゲームは205点だったと記憶している。
最近ボーリングの球を握る事がめっきり減って当時の面影はすっかり無くなってしまたが、若者たちとの一体感やピンを全て倒した時のそう快感は何とも筆舌に尽くし難いものがある。この大会に参加する事によって、毎年7月に開催している我が社の『B.try大ボーリング大会』と併せると2回に機会が増えたので、少し練習をして、せめて140点平均位のレベルまで行きたいと考えているところである。
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