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4月28日(水)   ≪交遊抄・・・学生時代の仲間達≫

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昨日、学生時代の仲間5人とこれも学生時代の友人である三関(みせき)君が経営する上野の小料理屋「ふみ作」(03-3834-2339)に集まり、久し振りに旧交を温めた。彼らとは、比較的最近頻繁に会うようになった中央大学付属高校や中央大学時代の友人達だが、既に皆が還暦も過ぎており、ここで実名で紹介する無礼をご容赦願おう。  写真右から...

吉原君・・・彼とは高校1年の時に知り合い、彼は理工学部に進んだもののグリークラブ(男性合唱団)でも一緒で、私達がフォークソンググループ結成するまで同じ黄色のジャケットを着て、コンサートで歌を歌った仲間である。高校時代の彼の定期入れの中には、必ず千円札が入っており、それを当てにして試験開けなど池袋界隈で、よく映画を見たりお茶を飲んだりしたものだ。学生服で日劇ミュージックホールに行ったり、喫茶店で警察に補導されかけたのも今となっては、還る事が無い良い思い出である。今はピアノの練習に明け暮れる日々だそうだ。

根本君・・・彼も高校時代から一緒だが、クラスが違ったので大学からのお付き合いだ。吉原君と同様グリーのメンバーで、彼がバリトン私がベースだった。彼も昨年リタイヤーしたようだが、それまでは偶然にも我が社の近くの「船橋東武百貨店」に勤務されており、便宜を図ってくれた。写真では、おっかない顔に写っているが、生まれたばかりのお孫さんをこよなく愛する極めて心優しい御仁である。

昆(こん)ちゃん・・・彼も吉原君を通じて大学からの付き合いだが、当時青森県三沢に彼の実家(クリーニング店)に2年生か3年生か忘れたが、夏休みに遊びに行った想い出は今でも鮮明に脳裏に宿っている。顧客である基地内のアメリカ軍兵士の家に遊びに行ったり、未だ7月の寒い十和田湖畔でのキャンプは、今思い出しても鳥肌が立つほど芯から冷えた。皆スカンピンだったので、彼の親父さんがバイクで"おむすび"を持って来てくれた時には、生き返った思いがいしたものだ。一度離婚し、子供を連れて再婚した中国人の奥さんとは仲睦まじくやっているらしい。

竹島君・・・彼とは高校時代からの友人で、学部が違ったが同じフォークソングスループの一員だった。彼の家は当時、神田明神の真下の外神田にあり大学に近かったため、よく授業が終わったらよく引っ張りだして遊んだものだ。高校時代には、彼のお袋さんがこしらえてくれた「ノリ弁当」と私が買ったパンと取り替えて、胃袋を満たしたものだ。バンド時代には、PPMピーター・ヤーロウよろしく顎ひげを蓄えていたが、それが当時の可愛い彼のガールフレンドであるチャコ(久子)ちゃんにふられる一因となったらしく、今でも責任を感じている次第だ。この仲間内でも一番元気が良く、ムードメーカー的存在であるが、最近糖尿病が進んでいると聞いて心配している。

重藤(しげとう)君・・・彼は、200年以上の歴史を有する公立高校である「福岡県立修猷館高等学校」出身の秀才であるが、同郷で有る事と私の2人の兄も修猷館高等学校の出身だという事も有って、何故か馬があった。今にして思うと、東京に出てきて右も左も判らない彼にとって、ガールフレンドとの付き合いを始め私の行動はやけに新鮮に映ったらしい。、遊びの世界に引き込んだ私としては、当時修猷館の館長をされていて彼の司法試験合格を夢目見ていた彼の亡き親父さんには、今でも申し訳なさを感じている。又、彼と組んで対外試合をした「麻雀」は連戦連勝で、帰りに戦利した金で、お茶の水界隈で上手いものを食って帰った事も貴重な体験となっているのだ。

三関君・・・彼が撮ったから写真には写っていないが、40年続く「ふみ作」の主である三関雄三君にも触れておかねばならないだろう。彼とは、高校時代から一緒で大学では学部が違ったが、フォークのバンドで一緒にPPMの歌を中心にして各地を回った。怒られるが、成績は余り芳しくなかったものの何かしら人を纏める力が有り音楽の造詣も深いため、我ら「モンスターズ」のバンドリーダーとして活躍してくれた。フォーククルセダースビリーバンバンとも一緒に演奏した事も有るが、最初の公演である御茶ノ水の日仏会館での演奏会で、竹島君は手が震えて上手くギターが弾けなかったと振り返っていたが、彼は当時からふてぶてしく堂々としていて頼もしかった。

未だに働き続けているのは、私・昆ちゃん・雄三で後の4人は悠々自適の生活らしいが、今後も全員が死に絶えるまで(●^o^●)定期的に再会する事を約束して、開始から4時間後の9時過ぎに別れたののであった。