Archive: 2010年4月

ある新聞によると今の子供たちは、「おとぎ話」や「昔話」を余り知らない傾向にあることが判った。筑波大学大学院の徳田教授グループが平成2年から10年ごとに、子供と21の童話・昔話とのかかわりを調査しているそうだが、「桃太郎」が鬼退治のときに腰につけた物について、2年の調査では3歳児の76%、5、6歳児の91%が「きびだんご」と正解。しかし、20年後の今回はそれぞれ22%、51%と低下。誤答にはパン、ケーキ、シチューといった洋食も挙がったという。

桃太郎と一緒に鬼退治に行った「(きじ)」の理解は、20年間で3歳児は49%から22%、5、6歳児で89%から50%にそれぞれ下がった。キツツキなどの他、何とアニメキャラクターの「アンパンマン」等の"珍答"もあったという。 「浦島太郎」は誰の背中に乗って行ったか?という問いにも、犬、猿、桃太郎などの誤答のほか、ここでもアンパンマンが登場したそうだ。「おとぎ話」とは「伽(とぎ)」のおりに、人の退屈を慰めるために語り合う話だが、転じて口碑による「昔話」に対して、創作や再話として親しみやすく子供たちに聞かせる話のたぐいをいう。室町時代から江戸時代にかけて編纂された「御伽草子」には、「浦島太郎」や「一寸法師」などが入っている。

しかし、一般的には「昔話」同じ類のものと考えられており、口承文学としては「説話」、「民話」、「伝説」或いは「神話」なども同義の意味で使用される事が多い。但し、場所や人物、時の特定が出来るか否か、或いは一部事実が含まれる(伝説)かによって呼び名が変わるようだ。勧善懲悪のストーリーが多いが、

昔息子たちが小さい頃には、御近所の子供たちを集めて寝る前によく話聞かせたものだが、今は珠に孫に思い出しながら、多少脚色しながら"お話し"する程度である。当然皆さんは、桃太郎のお供「(きじ)」をご存じでしたよね?

桃太郎.jpg 180px-UrashimaTaro.jpg            <岡山駅前にある「桃太郎」像と香川県三豊市にある「浦島太郎」像>

仲間.JPG

昨日、学生時代の仲間5人とこれも学生時代の友人である三関(みせき)君が経営する上野の小料理屋「ふみ作」(03-3834-2339)に集まり、久し振りに旧交を温めた。彼らとは、比較的最近頻繁に会うようになった中央大学付属高校や中央大学時代の友人達だが、既に皆が還暦も過ぎており、ここで実名で紹介する無礼をご容赦願おう。  写真右から...

吉原君・・・彼とは高校1年の時に知り合い、彼は理工学部に進んだもののグリークラブ(男性合唱団)でも一緒で、私達がフォークソンググループ結成するまで同じ黄色のジャケットを着て、コンサートで歌を歌った仲間である。高校時代の彼の定期入れの中には、必ず千円札が入っており、それを当てにして試験開けなど池袋界隈で、よく映画を見たりお茶を飲んだりしたものだ。学生服で日劇ミュージックホールに行ったり、喫茶店で警察に補導されかけたのも今となっては、還る事が無い良い思い出である。今はピアノの練習に明け暮れる日々だそうだ。

根本君・・・彼も高校時代から一緒だが、クラスが違ったので大学からのお付き合いだ。吉原君と同様グリーのメンバーで、彼がバリトン私がベースだった。彼も昨年リタイヤーしたようだが、それまでは偶然にも我が社の近くの「船橋東武百貨店」に勤務されており、便宜を図ってくれた。写真では、おっかない顔に写っているが、生まれたばかりのお孫さんをこよなく愛する極めて心優しい御仁である。

昆(こん)ちゃん・・・彼も吉原君を通じて大学からの付き合いだが、当時青森県三沢に彼の実家(クリーニング店)に2年生か3年生か忘れたが、夏休みに遊びに行った想い出は今でも鮮明に脳裏に宿っている。顧客である基地内のアメリカ軍兵士の家に遊びに行ったり、未だ7月の寒い十和田湖畔でのキャンプは、今思い出しても鳥肌が立つほど芯から冷えた。皆スカンピンだったので、彼の親父さんがバイクで"おむすび"を持って来てくれた時には、生き返った思いがいしたものだ。一度離婚し、子供を連れて再婚した中国人の奥さんとは仲睦まじくやっているらしい。

竹島君・・・彼とは高校時代からの友人で、学部が違ったが同じフォークソングスループの一員だった。彼の家は当時、神田明神の真下の外神田にあり大学に近かったため、よく授業が終わったらよく引っ張りだして遊んだものだ。高校時代には、彼のお袋さんがこしらえてくれた「ノリ弁当」と私が買ったパンと取り替えて、胃袋を満たしたものだ。バンド時代には、PPMピーター・ヤーロウよろしく顎ひげを蓄えていたが、それが当時の可愛い彼のガールフレンドであるチャコ(久子)ちゃんにふられる一因となったらしく、今でも責任を感じている次第だ。この仲間内でも一番元気が良く、ムードメーカー的存在であるが、最近糖尿病が進んでいると聞いて心配している。

重藤(しげとう)君・・・彼は、200年以上の歴史を有する公立高校である「福岡県立修猷館高等学校」出身の秀才であるが、同郷で有る事と私の2人の兄も修猷館高等学校の出身だという事も有って、何故か馬があった。今にして思うと、東京に出てきて右も左も判らない彼にとって、ガールフレンドとの付き合いを始め私の行動はやけに新鮮に映ったらしい。、遊びの世界に引き込んだ私としては、当時修猷館の館長をされていて彼の司法試験合格を夢目見ていた彼の亡き親父さんには、今でも申し訳なさを感じている。又、彼と組んで対外試合をした「麻雀」は連戦連勝で、帰りに戦利した金で、お茶の水界隈で上手いものを食って帰った事も貴重な体験となっているのだ。

三関君・・・彼が撮ったから写真には写っていないが、40年続く「ふみ作」の主である三関雄三君にも触れておかねばならないだろう。彼とは、高校時代から一緒で大学では学部が違ったが、フォークのバンドで一緒にPPMの歌を中心にして各地を回った。怒られるが、成績は余り芳しくなかったものの何かしら人を纏める力が有り音楽の造詣も深いため、我ら「モンスターズ」のバンドリーダーとして活躍してくれた。フォーククルセダースビリーバンバンとも一緒に演奏した事も有るが、最初の公演である御茶ノ水の日仏会館での演奏会で、竹島君は手が震えて上手くギターが弾けなかったと振り返っていたが、彼は当時からふてぶてしく堂々としていて頼もしかった。

未だに働き続けているのは、私・昆ちゃん・雄三で後の4人は悠々自適の生活らしいが、今後も全員が死に絶えるまで(●^o^●)定期的に再会する事を約束して、開始から4時間後の9時過ぎに別れたののであった。

chirasi.JPG我が社の定例会議は、月初と月中で催しているが今月の月中会議は私のスケジュールの関係で、昨日実施した。前月の売り上げ集計(客先別・営業別含む)から分析・進捗率、機種別稼働率、月次回収率、回収状況、エポック、翌月売上計画、要望事項他の打ち合わせを私が司会して全員で行うのが通例である。ところが、昨日の会議は少し趣向を変えて『日本海庄や』で行うこととなった。

『日本海庄や』は、ご承知に通り他にも「やるき茶屋」や「ジョン万次郎」、「大和路」等の食事処を全国に展開している、東証一部上場の『大庄』が経営する大衆割烹である。建設機械リース業協会の何方かが経営者を存じ上げていて、東京駅や秋葉原の「庄や」でしょっちゅう懇親会に使わせて貰っているのだ。我が社も昨年末の"忘年会"は、『日本海庄や』の東船橋南口店でやったが、おまけに日本酒を3升も提供して貰って、大満足で年越しを迎えた憶えがあった。

先週たまたま、26日27日限定の男性が1580円・女性が1280円の「お寿司食べ放題」のチラシが届き、余りに安いので社員の方々に諮り意見を聞いたところ、是非食べたいと言う。『日本海庄や』は、大量仕入れを行っているせいか"生もの"は安い割には美味しい飲み放題1200円(女性1000円)と言う事で、急遽そこで会議をやることにした。最初各自に10巻の握り鮨が来てその後お好みがオーダー出来るとの事、但しネタはまぐろ・はまち・平目・鮭・いくら・えび・ほたて・いか・玉子他14種類だそうだ。

結果、私が資料を会社に置き忘れて来たせいもあって会議はそこそこににして、全員が食べる事に専念したのである。14人中飲み放題は、車の運転があるため半分の7人だったが、アルコールは私を含め左程進まず、お得感は余り感じなかった。それより何より食べた握り鮨の数は、約800巻以上(途中まで数えたが、後は食べるのに夢中でカウント不可)と、大満足の会議?となったのである。そして、お勘定の際に2度ビックリ、何と3万円でおつりが来たのだ。次回も是非と思いつつ帰途に就いたが、果たして次回案内があるか否か心配である。

hotate.JPG いなり.JPG いくら.JPG

                <高級なネタは無かったが、鮮度とお味はまずまずだ。>

久し振りに晴れ上がった昨日は、文化に接する事が出来た日?でした。午前中に東京国立博物館平成館で、珠玉の永青文庫コレクション「細川家の至宝展」を見て、午後はヴァイオリンのコンサートに行ってきた。   hosokawa.JPG 100425_112845.JPG【PART1】〈細川家700年 永青文庫の至宝〉第79代の総理大臣である細川護煕(もりひろ)氏は、肥後熊本藩主細川家の第18代当主であるが、16代細川護立(もりたつ)が細川家に伝来した文化財を後世に伝える為に1950年(S25)に設立した『永青文庫』の理事長でもある。文京区の目白台の旧細川邸にあるこの施設は、「美術の殿様」と言われた護立が集めた書画骨董を始め、近世細川家の祖・細川藤孝(後の幽斉)や利休の高弟としてその名を知られている2代忠興(後の三斉)、或いは忠興の妻であったキリシタンのガラシャ明智光秀の次女)などの遺愛の品々を数多くコレクションした美術館としてつとに有名である。

今回は、それらの珍品に加え熊本美術館に収められているものを含め、細川家の文化財を一同に集め3部に分けて公開するもので、信長や秀吉などの記録等も窺い知る事が出来る貴重なものでもあるのだ。特に細川家代々の鎧兜や刀剣、ガラシャ筆の書状や田代等甫筆の「幽斉像」や利休作の瓢花入「顔回(がんかい)」の他、見れば皆さんもご存じの菱田春草が描いた「黒き猫」や小林古径の「」など見事な物ばかりで、大いに堪能した。

【PART2】〈スズキメソード ヴァイオリン・コンサート〉これは、毎年この時期に国立オリンピック記念青少年センターで行われている発表会で、実は私の4歳の孫娘が出演していたのだ。昨年は習いたてと言う事もあって、出番は1番で演奏もヴァイオリンを顎の下に挟み左手は右肩に置いて、弓で「キラキラ星」のリズムを弾いた丈だが、今年は出番も4番目となり短いものの「アレグロ」と「アレグレット」の2曲を演奏するまでに成長?したのである。嫁のご両親とも久し振りにお会いし、『来年はどんな曲を弾くのだろうか』と互いに"何とか馬鹿?"を発揮しながら一緒に帰って来たのであった。

お陰様で、「万歩計」を持って4日目で初めて1万歩をオーバーしたのだ!(*^_^*)

konnsa-to.JPG konnsa-to2.JPG

<慌てて隠し撮りしため(撮影禁止)画像がボケてしまいました/フィナーレ:私の孫は一番前で斉奏しています>

先頃発表された日本能率協会の調査によると、今春の新入社員の50%以上の人達が年功主義を望んでいるという。この不景気だけに、企業してみたいという意欲が湧かない事は理解出来なくもないが、日本の将来を考えた時には、これでは如何にも寂しい限りだ。団塊の世代である私が、『東京産業』(東証一部/但し当時は二部)という三菱系の商社に入社した時は、約30人前後の男子社員の同期が居た。4人が建設機械部に配属されたのだが、そのうち定年まで全うしたのは2人だった。

君は慶応、君が青学、君は拓大、私が中央大学を卒業して入社したのだが、私とI君が企業して現在に至っている。I君は辞めた当初は、兄貴さんが経営する韓国の物産輸入商社に再就職したのだが、会社が倒産したため保険代理店を立上げ、『東京産業』の社員を中心に生命保険を勧誘し、成功しているらしい。先週の或るOB会のコンペでも元気そうな様子で、腰痛の持病が有る以外は健康だと言っていた。ところが、その席でS君は3年前に故郷の神戸に帰ったものの、3月に胃ガンが見つかり、現在入院して放射線治療中だと聞いた。

T君も電力部長を最後に、退職しマンションの舎官さんをやって居たらしいが、昨年部位は不明だがガンが見つかり、切除手術を行ったと聞く。結果的には、何の脈絡もないと思うがリタイヤーして悠々自適の筈の2人が病に倒れ、途中で退社した2人が未だに一線で頑張っているのである。大した社会貢献はしていないが、常時企業経営に悩みながら10数年間キチンと税金を払ってきた。今朝の日経にも出ていたが、不景気だから競争を嫌がって企業家が増えず、企業家が増えないから新しいものが生み出せないし、税収も減って経済に活気が出てこな。出口が見えない全くの悪循環だが、願わくば、失敗を恐れない私の様な無鉄砲な輩が出て来て欲しいと思うのは、私だけではないだろう! img_index.jpeg

              <今頃今年の新入社員にとってブルーな日々が訪れている頃か?>

海外メジャー2勝を含む通算25勝の『ロレーナ・オチョア』が、引退を発表した。28歳の油の乗り切ったこの時期での引退発表は、内外のスポーツ界をアッと驚かせた。彼女は、メキシコ出身のプロゴルファーであるが、スポーツ一家に生まれたため運動神経抜群で、学生時代には テニス、陸上、水泳、バスケットボール 、バレーボール、サッカーなど、様々なスポーツの才能があったが、最終的には ゴルフを選択し、現在に至っている。

過去の戦績を見ると、2006年には年間6勝を達成し2001年から5年連続で賞金女王の座に君臨し続けたアニカ・ソレンスタムの牙城を崩し、新女王の座に輝いた。2007年は年間8勝、「全英リコー女子オープン」を制し、悲願のメジャータイトルも獲得。ツアー史上最高獲得賞金額で女王の座を防衛し、オチョア時代の到来を告げた。2008年も7勝を挙げその座を確保。2009年は同ランク4位に終わったが、その実力に疑う余地は無い。また、アメリカのゴルフ場で働くメキシコ人ワーカーに対する配慮ある接し方なども知られており、そうした彼女の行動と人格も 彼女がメキシコ人の間では 大変な人気選手になっている理由で、宮里藍選手とも大の仲良しだそうだ。

昨年の12月にスポンサー企業の一つであるメキシコの航空会社の離婚歴が有る3人の子持ちの幹部職員と結婚したが、引退の理由は家族との生活を優先させるためと、慈善事業に専念したいという事らしい。私は去る7日のブログで、イチローや松井秀選手を引き合いに出して"惜しまれる引退"に付いて書いたが、正に彼女のケースがそれである。但し、今年4戦の成績が18・38・52・4位と彼女にしては余り芳しくなく、燃え尽きた事も考えられるし、妊娠の可能性も否定できない」。彼女のプレスリリースに注目してみたい。 20100422-00000036-spn-golf-view-000.jpeg              <オチョアは、宮里藍のアメリカ・ツアーを支えてくれた1人らしい>

私は、昭和22年1月30日に三菱鉱業(現三菱マテリアル)に勤める父栄壮(えいそう)と夏子の6番目の子として福岡県の飯塚市で生まれた。もし私が日経新聞の「私の履歴書」に登場するとなれば、こういう書き出しで始めることだろう。更に続けてみよう。藤本家は元々広島県の造り酒屋の家系で、父の父親、つまり私の爺さんの松太郎は、弟に家督を譲り九州に渡ったそうな。父の遠い親戚で、許嫁(いいなずけ)だった母夏子は、旧姓を矢野といって黒田52万石の家老の家系で、母方の祖父である梓(あずさ)はチェロ弾きで登山家だったらしく、富士山に何度も登ったという話を幼心に聞いた記憶がある。

私が生まれた飯塚市は、五木寛之の『青春の門』の舞台になった筑豊の街だが、私は生まれた直後に、父の転勤で福岡市に移ったため全く記憶にない。その後、幼稚園と小学校の1年生まで福岡市で過ごし、再び筑豊の炭坑町である福岡県鞍手郡鞍手町大字中山に転居した。この街は、北九州市(小倉都心部)から南西に約20km、福岡市から北東に約60kmの距離にあり、筑豊地域の北端部に位置する歴史の古い街で、昔矢で馬の鞍を射抜く程の豪傑が居たと言う故事来歴からこの町名になったらしい。

私は、剣北小学校の1年後半から5年生の途中までの約4年間を過ごして、再び福岡市に戻るのだが、この炭坑町での出来事は、強烈印象として私の脳裏に焼き付いている。自然が豊かなところで、私は初めて透き通った川でフナや鯉を釣ったり、山では山芋掘りや鳥の巣の卵を持ち帰り孵化させようと試みたりで、都会では経験出来ない体験をした。当時は、昭和28年に始まった『朝鮮戦争』の影響で、石炭は"黒いダイヤ"と呼ばれ、病院やスーパー(購買といった)なども経営するこの三菱の街は大変な活況を呈していた。不良炭を大きく積み上げたボタ山の夜中に燃える赤い火や、炭鉱の坑道からカンテラを付けたヘルメットを被って出て来た炭鉱夫の煤けた(*_*;は、今でも鮮明に憶えている。

しかし、そこは完全な格差社会だった。一般の職員住宅は丘の上に有って、所長や副所長の家には庭に噴水が有った。一方、鉱員(炭鉱夫)の家と言うと長屋形式の粗末な住宅で、共同風呂共同便所だったのである。そのような環境下で同じ小学校に通うのだから、身なりや持ってゆく弁当には大いに差が有ったのだ。勿論鉱員の子供の中では、おかずが入っていない「日の丸弁当」を持ってくることはざらで、持ってこれない子も多かったと記憶している。従って、勢い子供の力関係も格差が付いてきて、私なんかは今では恥ずべき事ながら、都会育ちを鼻にかけ、番長並みの振る舞いをしていたかも知れない。

最近、久し振りに当時の仲間達と酒を酌み交わす機会が有ったが、『俊雄ちゃん』は、坊っちゃんで良い暮らしをしていたね!と言われ、大きな身体を小さくしたしたものだ。では、「私の履歴書」の続きは、いずれ又! 20100421112050770.pdf(左をクリックしてみて下さい

【写真左から次兄の善幸、六つ上の隆之、祖父の梓、三つ上の富子、母夏子、手伝いに来てくれた白石さん、私、長兄の博之、長姉の博子(時は昭和29年の暮れか30年の新年当時/博之と善幸は東京の大学から帰省中、姉の博子は第一子を身ごもっていた)】

昨日、(社)全国建設機械器具リース業協会の荒井会長と私を含む副会長3名、そして大屋専務理事の計5名でコマツの坂根正弘会長に会いに行った。目的は、レンタル単価の下落で混迷する建機レンタル業界の正常化に向けての協力要請である。その場には、コマツレンタルの責任者である建機マーケティング本部の須藤循環事業部長も同席され、約1時間程の会談であったが、非常に良い感触を得て辞することが出来た。坂根会長は、5月には日本経団連の副会長に就任されると言う事で、テレビの出演や講演で非常に忙しい毎日を過ごされているようで、私としても貴重な体験をさせて貰った。

ところが、その後が問題だった。喫茶店でお茶を飲んだ後、皆さんと別れて地下鉄でJR新橋駅に出て、新橋から15時8分発の成田空港駅行きに乗って船橋駅に降り立ったのである。迎えの車に乗って事務所に到着、その後来訪された三笠産業の寺本さんとお話している際に、ドコモの携帯電話が無いのに気付いたのである。事務所の女の子のアドバイスで、GPS機能を駆使すれば有る場所が特定できるという事で、すぐさま近くのドコモショップに向かった。今の携帯電話は色んな情報が詰まっており、又私の場合『おさいふ携帯』機能も付けていたので少し心配したが、グリーン車内に忘れたので、見つかる可能性は高いと思っていた。

案の定、GPSで検索した結果、私の大切な携帯電話は「JR成田空港駅」に有ったのである。早速成田空港駅に連絡を取り、携帯トストラップの特徴を言って確認し、取りに行く羽目となった。この≪大失態≫で半日を無駄にすることになったが、最近ちょくちょく若い頃にはしなかったような失敗をすることが有る。以前にも1回携帯電話を失くして不便な経験をしており、便利な物こそほど、それを失った時の対策をキチンと施して置くべきだと痛感した私の≪大失態≫であった。

dennwa.JPG                <「JR成田空港駅」まで1人旅した私の貴重な携帯電話>

世の中に存在するものを一つの切り口から考えてみると、「必要なもの」と「必要でない(不必要)もの」に大別出来るらしい。その典型がデパートだとある新聞に出ていたが、確かにわざわざデパートに行かなくても大抵のものは手に入る時代となった。その大きな理由は、郊外型複合商業施設の出現である。我が家の近くにも、2006年に≪ららぽーと柏の葉≫という大型複合ショッピングセンターがオーップンして以来、柏駅に隣接する「高島屋」、「そごう」或いは「丸井」に行く機会がめっきり減ってしまった。

昨日≪ららぽーと≫に行ったのは、久し振りに我が家を訪れた二男の2歳の孫に、カンタベリーのラグビーウエアーを買ってやるためである。以前この場所には、三井不動産が経営する1961年から40年間の歴史を誇る名門ゴルフ場『柏ゴルフ倶楽部』が有り、私も何回かプレーした経験がある。今では高層マンションが数棟立ち並び当時とは様変わりである。元々≪ららぽーと≫の原点は、我が社が有る船橋で、1955年(S30)~1977年(S55)まで営業していた『船橋ヘルスセンター』跡地に三井不動産が1981年(S59)に≪ららぽーと船橋ショッピングセンター≫(今は、ららぽーとTOKYO-BAY)のオープからだ。

ここにも昭和51、2年頃に、当時の会社で催した家族ぐるみの懇親ピクニックに1歳前後の長男を"しょいこ"に背負って出掛けた想い出が有る。それから約35年が経ち、≪ららぽーと≫は日本一の売り場面積を誇る≪ららぽーと新三郷≫を含め、我が国には7つ出来ているらしい。映画館を含めゲームセンターやフードコート他各種の施設が併設されており、ショッピングをかねて遊びに行けば、ゆうに1日中過ごせる場所である。恐らく≪ゴールデンウイーク≫は、安・近・短を求めて大いに混み合うことだろう。 100418_150250.JPG 汽車.JPG<コンサートが開かれているホールの上のフロアーは、遊具が並んで子供たちが楽しんでいた。私も孫と汽車に乗り好々爺?ぶりを発揮>

今朝のニュースで、≪村上春樹の『1Q84』≫のBOO3が書店で発売され、多くの村上ファンの読者が、こぞって買いに来た姿が映し出されていた。過去の2作も大変なブームとなったが、「青豆」と「天吾」のその後を読みたい人達が、今現在も群がっているらしい。村上を一躍有名にしたのは、1987年に「100パーセントの恋愛小説」と銘うって刊行され上下430万部を売る大ベストセラー『ノルウェイの森』辺りからで、これをきっかけに村上春樹ブームが起き、国民的作家と言われるようになったのである。

その後、短編を含め『ねじまき鳥のクロニクル』(1995年)他、数々の作品を世に送り出したが、2002年初めて少年を主人公にした長編『海辺のカフカ』を発表。2004年にはカメラ・アイで描いて見せた『アフターダーク』を発表した後、2005年頃から英訳版も発表され始め"The Ten Best Books of 2005"に選ばれ、瞬く間に国際的評価が高まった。今では、世界中で最も多く作品が読まれている日本人小説家であり、近い将来必ずや「ノーベル文学賞」を獲得するだろうと目されている。

彼は私と同じ「団塊世代」であるが、私は恥ずかしながら『ノルウエイの森』しか読んだことがないが、「宗教」「人の生命」に特別な関心が有るようで、特にSUICIDE(自殺)の記述が多いように思う。『1Q84』の舞台は1984年の東京、登場人物は「青豆」というスポーツインストラクターの女性と、「天吾」という作家志望の予備校教師で、どちらも年齢は30才前後という。「海辺のカフカ」や「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のように、「1Q84」もふたつの物語が章ごとに交互に語られるスタイルだ。

""と"暴力"と"宗教"という人間の根幹に連なるこの『1Q84』を、私もBOO1から是非読んでみよう思っている。今、『ノルウエイの森』が映画化されているそうだが、しかし村上春樹は何故「芥川賞」を受賞出来なかったのだろうか?不思議である!

1.jpeg 3.jpeg 2.jpeg BOOK1,2(左)とBOOK3(右)

 

 

日経新聞の朝刊によると、従来の業績だけに偏った評価ではなく、多様な価値観を加味した企業評価基準ができたらしい。それは、日経新聞グループが開発したもので、「NICES(ナイセツ)」と言って「投資家nvesutaor)」、「消費者onsumer)」、「従業員mployee)」、「社会ociety)」の4つの側面からみた各250点満点のランキングを作成し、単純に合算(1,000点満点)して総合ランキングを決めたものである。ネーミングは、それぞれの評価基準の頭文字に日経のを最初に付けたものだ。

その結果、皮肉にもサントリーとの統合問題で物議をかもしたキリンホーディングスが、898点でトップとなり次いでホンダ(895)、キャノン(895)が同点で2位、花王(886)、三菱UFJフィナンシャルG(884)、KDDI(877)、三菱商事(877)、大阪ガス(868)、パナソニック電工(867)、同じく日産自動車(867)、三井物産(867)と続く。因みに、投資家指標のトップがKDDI、消費者・取引先指標のトップがソニー、従業員指標のトップがベネッセホールディングス、社会指標のトップがキャノンだそうだ。

上位100社の内訳を見ると、約3分の2が製造業でその間隙をぬって金融機関や商社、大手流通小売が幾つか名を連ねた形だが、2011年卒業予定の大学生の来年の就職希望企業のベスト10の内、私がチェックした限りでは、東京海上・三菱UFJ・三菱商事・三井物産の4社のみと言うのはどういう訳だろうか?又我々が従事する建設関連では、メーカーであるコマツのみというのは時代を反映しているとは言え、寂しい限りである。尤もこの調査は、2010年1月、全国の上場企業から主要1014社を抽出して実施したらしいが、有効回答率は543社の53.6%と必ずしも高くはない。

いずれもっと浸透していくだろうが、知名度が高い大企業が有利のようで、非上場会社や中小零細企業にも立派な会社が有る筈だ。我が社のように大を目指さす?(*^_^*)頑張っている企業にも、是非希望を与えてくれるような総合指標を考えて貰いたいものだ。 285px-KIRIN_Beer_billboard.jpeg          【キリンが1位¿非上場のサントリー(就職希望R19位)はランクには入っていない】 

 

外国人が日本の電車に乗って一番驚くのは、女子高校生や若い女の子が車内で手鏡を取り出して、人目をはばからずに化粧を始める事だそうだ。又、若い男女が携帯電話でメールやゲームに興じていることも、然りらしい。昨日、私は東京建設機械リース業界の理事会の帰り、8時過ぎに日暮里から常磐線に乗り込んだが、そこで"外国人もビックリ"の奇異な光景を目の当たりにした。車内は通勤帰りのサラリーマンで、ほぼ立錐の余地が無いほど込んでいた。

ところが、入口のドア付近に居た二十歳すぎと思しき若い二人の女性のうち一人が、相手とお喋りをしながらやおら小さい爪切り(角質)バサミを取り出し、肩より少し長めの髪の枝毛を切り始めたのである。彼女の格好というと皮のジャケットの下にラメ入りのパーカーを着て、ジーンズの短パンにアルファベットの大文字がデザインされた黄色のストッキングとスニーカーという今風の出で立ちだ。但し、座席の端と壁のコーナーで枝毛を切っているハサミの先端は、尖っていて揺れると危険極まりない状態である。

恐らく「先(尖)端恐怖症?」の私でなくても、ひんしゅくものである。彼女は、途中でチョコレートを取り出して食べながら、下車駅の松戸まで延々と枝毛を切り続けたのである。いつ頃から日本人は、このような人の迷惑を顧みる事が出来ない身勝手な行動をとるようになったのだろうか?特に、昨今若者が事なかれ主義に徹し、物事に対し執着心を持たなくなったと言われている。今、タイではタクシン派の連中が、街中を占拠していて大変な状況らしい。このような姿は褒められた事ではないが、信じた道に向かって邁進することは、決して悪い事ではなく寧ろ良い事である。

今の我が国では、どんな亡国政府が出現しても、若者中心のデモはおろか抗議集会も起りそうにないと思う。理事会の後の懇親会でも、最近の若者の無気力さを皆で嘆いただけに、昨日の出来事はかなりショックだった! 常磐線.JPG

                          <JR常磐線の電車>

昨日、去る4月1日に東京慈恵医大柏病院で受けた「脳ドック」の結果を聞きに行った。「脳ドック」を受けたのは2回目であるが、昨今周りの人々や巨人軍の木村コーチなどが脳疾患で倒れるケースを目の当たりにして、暫くぶりに思い立ってワイフと一緒に受けた。この検査は、MRI(磁気共鳴画像検査)による脳の断面や血管像の撮影、その他頸動脈エコー等の検査を組み合わせて、脳血管疾患の早期発見やくも膜下出血の原因ともなる脳動脈瘤等を発見し、脳の健康状態を診断するドックである。

脳血管疾患は、動脈硬化が最大の原因らしが約10年ぶりの検査なので、結果が大変気になり先生と対峙した時は、流石に緊張した。診断結果は○、脳の血管は正常で奇麗だという。但し、右側の頸動脈の動脈硬化が若干見られるという事だった。経過観察は必要のようだが、血管自体はは実年齢より4~5歳は若いという話を聞いて大変気を良くして帰って来たのである。一方ワイフの方も概ね良好だったようだが、血管年齢は実年齢とイコールと言う事で「そんな筈はない!」と帰りに愚痴られてしまった。

その他にも私の血液は、通常値よりやや濃いようで、水分を多く取るよう先生よりアドバイスを受けた。私が熱血漢?なのは、血が濃いせいかもしれない!

  MRI.JPG p_dock_detail_01.jpeg<MRIとその画像>

zeiinn.JPG今年の春は、天候が不順で暑かったり寒かったりで体調管理が大変である。そんな中先週の土曜日、我が社の≪春のバーベキュー大会≫を実施した。毎年春と秋に年2回実施している行事で、例年は親しい仕入れ先やお取引先の方々をご招待するのが恒例となっているが、今年は時節柄自粛して会社のメンバーだけで行った。火はナラ炭を用い4ヶ所で起こし材料別に焼くが、1ヶ所の火種は七輪で、大島工場長のプライベートスペースである。彼は自分の好きな具材を持ち込み、ビールを片手に好きな調味料で好みの焼き加減にじっくりと仕上げるのだ。

我が社のバーベキューは、材料が豊富だと思う。牛や豚バラ肉や焼き鳥や鳥のからあげ、激辛を含む2種類のウインナーソーセージは勿論の事、ジャガイモ、ハッシュドポテト、そして数種類の野菜と豪華な海鮮物を用意する。海鮮は、サザエ、ホタテ、ツブ、海老、カニ或いはカニ棒、ヤリイカとホタルイカ、マグロのかま、ねぎとろ等である。特に女性陣が作る料理は大変好評で、薄味焼きそばと北海道の鮭と野菜やキノコをホイルでバター蒸ししたチャンチャン焼きは秀逸である。チャンチャン焼きは今回、人数(13名)の関係で中止したが、嘘だと思う人は次回の11月13日(土)の≪秋のバーベキュー大会≫に、ご参加あれ!

何れにせよ、繁忙期を一生懸命に凌いでくれた社員諸君に感謝する良い機会となった。但し、私は前日飲み過ぎていたので、余り食べられず余り飲めなかったのが心残りである!

女性軍.JPG ほたて.JPG yakisoba.JPG

siitake.JPG プライベート.JPG 焼き鳥.JPG

<写真をクリックしてみてください>

自民党の与謝野馨元財務相(71)と無所属の平沼赳夫元経済産業相(70)の両氏が主催する新党の名前が、「たちあがれ日本」に決まった。石原東京都知事が名付け親らしいが、2人を含む5人のメンバー即ち、中川義雄参議院議員(72)、園田博之自民前幹事長代理(68)、藤井孝男元運輸相(67)の顔ぶれをみると平均年齢が、69.6歳で「たちがれ日本」或いは「たそがれ日本」と呼びたくもなる。

昨日聞いたラジオで、彼らを評して愉快な都々逸(七・七・七・五で纏めた俗曲)が流れていたので、ここにご紹介しよう。

"今さらなんでたちあがれか 自民ののときにやっとけよ"

"新党たちあげ雄たけびあげる 肩書なければ老人会"

ちょっとキワものだが、"与謝野新党英語にすれば きっと新党バイアグラ"

結構的を突いてて面白いが、保守再生を目指す平沼とリベラル色の強い与謝野の路線自体が根本的に一致せず、前途多難の船出だ。何とか政党助成金の受給資格を資格を満たしたものの、数人の国会議員が様子見を決め込んだのが、誤算だったようだ。参議院選挙の比例代表に候補を立てると言うが、それが叶わず今のメンバーのままであれば、平均寿命からすると約10数年後には全員死に絶える?(●^o^●)筈だ。

ネーミングも、他にもっとピッタリのやつが有りそうだ。例えば、新党「シルバー」とか新党「後期高齢者」なんかも、うってつけかも?私も都々逸を作ってみたのでご披露しよう。

"何でいままで座っていたのか 我々いつも走ってる"・・・如何がでしょうか?

yosano.JPG

<与謝野の祖父・祖母は言わずとしれた鉄幹・晶子。趣味はゴルフ・カメラ・囲碁・釣り・天体観測・パソコンの自作など多岐にわたる>

"広瀬川 流れる岸辺 想い出は かえらず 早瀬 おどる光 ゆれていた 君のひとみ・・・"。         これは、今から32年前の1978年の5月に歌手のさとう宗幸氏が歌って大ヒットした歌である。昨日、久し振りに日帰りで宮城県≪仙台≫に出張した。朝会社に出て、帰りも会社に寄ったのでかなりタイトで慌ただしい出張だった。今では新幹線で2時間前後と以前より随分楽になり、充分日帰りが可能な圏内である。ところで、仙台と言えば皆さんは何を思い出すだろうか?

歌に歌われた「青葉城」、そこの城主であった「独眼竜伊達政宗」、「七夕まつり」、「笹かまぼこ」、「伊達男」、「仙台萩」、「牛タン」ってところか。その他にも私は、「日本三大ブス(失礼!(●^o^●))の産地」などが思い浮かぶ。ところが、昨日言ってみて私の考えが一変した。仙台は、私の記憶では確か現在我が国に有る政令指定都市19の内の11番目の都市で、その玄関口である仙台駅は、地方都市の駅にしては結構大きく立派な駅である。

駅に屯していた東京でも見ないような派手なメイクと鼻ピアスの高校生らしき連中は別として、ホテルのティールームで行き合わせた"アラフォー"と思しき一団は、なかなか洗練されていた。お茶を飲みながらの打ち合わせだったので、私も決してまじまじと見た?訳ではないが、何か習い事の仲間であろう奥さん連中が、真中に着物を召した年嵩の女性を囲んで楽しそうに談笑していたのである。見るからに高そう洋服を着、東京青山にでも居そうな彼女たちのセンスは"なかなか"のものであった。

「ブス」政策は、伊達正宗が他国からの侵略を恐れて実施したという嘘か誠か定かでない言い伝えを聞いた事が有るが、こんなに空気が澄んで奇麗な街に美人が育たない筈がないと思う。マア、仙台のブス議論は改めてすることにして、最後に政宗が68歳で没した折の辞世の句をご紹介しよう。

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く

政宗.JPG

                      【青葉城公園にある伊達政宗騎馬像】

大リーグが開幕した。初日の日本人大リーガーの成績は、まずまずの出足と言えよう。松井秀はエンジェルスのデビュー戦で決勝打と勝ち越しの本塁打を放ち、4打数2安打打点2と本拠地のファンの心をわしづかみ(ある新聞の記述)にした。同じくマリナーズのイチローも1安打1盗塁と活躍し、彼をして「今シーズンは何か起こりそう」と言わしめたのだ。他の選手も、カブスの福留が3打数2安打、アストロズの松井嫁が4打数2安打、パイレーツの岩村は安打こそ出なかったが、四球で出て得点したようだ。又、ブレーブスの斎藤投手も1回を無安打に抑えたようで順調な滑り出しと言える。

 

私は以前にも書いたが、日本のプロ野球には余り興味を覚えなくなった。やはり、スピードとパワーに勝る大リーグの方が、ダイナミックで迫力満点だからだ。一部の野球評論家は日本プロ野球が空洞化するから、選手は日本に留まるべきだと言うが, 人間誰しも最高の舞台を求めるものだ。サッカー選手やプロゴルファーも同様の動きをしており、彼らは今のところ何の咎めもない。只、実力が無い選手がいたずらに挑戦してもその結果は、押して知るべしである。

 

過去、多くの選手が大リーグ挑戦したが、成功した選手は一握りだ。その中でも、イチローと松井秀は別格だ。イチローが大リーグ在籍9年間で1426試合、6099打数、2030安打、打率3割3分3厘、松井が同じく7年間で916試合、3348打数、977安打、140本塁打2割9分2厘は、大いに賞賛されても良い数字だ。日本国民の誇りでもあるし、「国民栄誉賞」ものだ。但し、彼らの活躍に触れるにつけ私が懸念するのは、彼らの引き時、所謂引き際の難しさだ。彼ら二人はよもやもう日本でプレーすることはないだろう。

 

イチローが今年の10月で37歳、松井秀が6月で36歳で決して若くはないし、寧ろこれからスポーツ選手としての"老い"が始まる。かつての球界のスーパースターである長嶋落合江川の引き際は見事だった。イチローには、今年10年連続200本安打という未知の大記録がかかっている。松井も今年は、新チームに入って大リーグの明主と言うべきヤンキースを見返さなければならない。私が思うに、イチローは今シーズンを含め後3年、松井が同じく2年と踏んだが皆さんのご意見は、如何だろうか? 20100406-00000006-ykf-spo-view-000.jpeg

                     <今シーズン第1号の松井のホームラン>

日本新聞協会が、4月6日の"新聞をヨム日"に因んで実施されている『第6回 HAPPY NEWS 大賞』が発表され、2009年4月から2010年3月までの新聞記事の中で、読んで"最もハッピー"になったものとして、今年の2月12日の中日新聞の朝刊に掲載された【ヒッチハイクで春をつかむ】という記事が選ばれた。愛知県豊田市の長谷川知子さんが、自分の誕生日に偶然その記事を読んで、明るい話題が少ないこの時期に心温まるエピソードとして投稿したものだ。

そのエピソードとは、こうだ。「埼玉県川越市に住むパイロット志望の中学3年の女の子が、石川県輪島市の日本航空高校の推薦入試に向かう途中、新幹線で新潟県長岡市まで行ったものの、予定していた輪島市までの夜行列車が大雪の為に運休。困った母親と二人は、300キロ余りをヒッチハイクし、何とか集合10分前に試験会場に辿りつき受験、目出度く合格した」と言うものだ。その際、諦めて泣き出した娘に母親は、ヒッチハイクを提案し、『絶対諦めない!』と呟いたそうだ。

そして、誰もが停まってくれず2時間歩き続けた挙句に、ガソリンスタンドで給油中の大型トラックの運転手に頼み込んで途中まで乗せて貰うこととなった。その際事情を知った同じく中3の娘を持っている運転手さんが、『よし、輪島まで行っちゃる!』と学校の前まで送ってくれて、『がんばれ』と励ましてくれたと言う。入試の作文は偶然にも「私が感動した事」で、彼女は400字詰めの原稿用紙に深夜のヒッチハイクの事を、母親と運転手さんに対する感謝の気持ちをつづったそうだ。

20100401-00000034-oric-ent-view-000.jpegその後、高校がその運転手さんを探し出し関係者がお礼を言ったそうだが、何とも素晴らしい話である。6回目の今年は12,000件以上の応募があったようだが、選ばれた数点をくまなく読んでみたが、いずれも心が和む記事だった。さしずめ来年は、今日の「86歳の夫が、脳梗塞で倒れた妻を自宅で介護するために、介護資格を取得した」と言う記事も、多くの応募の中に見当たる筈だ。<写真は愛娘と表彰式に臨んだ長谷川さん(右)>

・目標達成のこだわりとコスト意識の徹底

B.JPG・自社機の売り上げアップと確実な回収

・笑顔で元気な挨拶、クリーンな職場

これは、『Btryモットー』と呼んでいる一種の社是、社訓或いは広義の意味では≪企業理念≫に近いもので、毎週月曜日の朝礼の際、必ず社員全員で連呼?している言葉だ。各企業に於いても、志を新たにした新入社員が、丁度今頃から研修や実習を体験しつつ、体調の管理に苦労し始めた事であろう。そういった中、彼らが頭に叩き込まれるのがこの≪企業理念≫と言われるもので、「企業の存在意義」や「社会に於ける位置づけ」或いは「企業活動に対する考え方」等を明文化したものである。多くの企業が、基本的な事を明文化するために、シンプルに短めなフレーズで纏めているが、特に短い部類ものに限ってご紹介しよう。

鹿島建設―全体一丸となって、科学的合理主義と人道主義に基づく創造的進歩と発展を図り、社業の発展を通じて社会に貢献する。                                                  大成建設―人がいきいきとする環境を創造する。・・・(以上建設)

味の素―地球的な視野に立ち、"食"と"健康"そして、"いのち"のために働き、明日のよりよい生活に貢献します。                                                               サントリー人と自然と響きあう。・・・(以上食品)

資生堂―私たちは、多くの人々との出会いを通じて、新しく深みのある価値を発見し美しい生活文化を創造します。                                                              旭化成―私たちは、科学と英知による耐えざる確信で、人々の"いのち"と"くらし"に貢献します。・・・(以上化学)

武田薬品工業―「優れた医薬品の創造を通じて人々の健康と医療の未来に貢献する」            大塚製薬―世界の人々のために革新的な製品を ・・・(以上薬品)

パナソニック―産業人たる本文に徹し、社会生活の改善と向上を図り世界文化の進展に寄与する                                                                  京セラ―社是 敬天愛人【抜粋】・・・(以上電気・機器)

東京海上ホールディングス―お客様の信頼をあらゆる活動の原点におき、企業価値を永続的に高めていきます。・・・(保険)

ソフトバンク―「デジタル情報革命を通じて、人々の知恵と知識を共有することを推進し、企業価値の最大化を実現するとともに人類と社会に貢献する」・・・(通信)

多くの企業のそれを見るにつけ、特に目新しい文言は見当たらないが、「世界」、「社会」、「人々」、「信頼」、「推進」、「発展」、「創造」、「価値」、「貢献」などの文字が躍っているものが多い。実は、我が社の『モットー』も私が以前非常勤役員を務めた或る建機レンタル業の会社のものを一部パクったもので、若しこのブログを見られたら"著作権の侵害?"で訴えられるかもしれない。(--〆) 

日本橋学館.JPG 桜.JPG <柏の日本橋学館大学のさくら>                                                                            

私は毎日、約17kmの道のりを車を運転して会社に通っている。通常は千葉県道8号船橋我孫子線(通称船取線)を通って来るが、混雑が激しい朝方は迂回して海上自衛隊下総航空基地の脇を抜けてやって来る事が多い。その飛行場の左手前に、心が痛む"思い出"の場所が有り、いつもそこから目をそらして反対側の沼南高柳高校を見ながら運転して来る。その場所の名前は、千葉県動物愛護センター東葛飾支所、要するに野犬や野良猫を"殺処分"するために一旦集荷?される所である。

平成19年度の統計では、犬殺処分数は100,963匹、猫殺処分数は209,494匹、犬猫合計で310,457匹にのぼったいうが、今では犬猫併せて約40万頭が高濃度の二酸化炭素の処分室で窒息死、焼却されていると聞く。1日に換算すると毎日約1000頭の犬猫が、それも約80秒に1匹殺されている計算になる。"思い出"と書いた訳は、今から約20年前の或る日、この場所に夫婦2人で犬を引き取りに来た事が有るからだ。犬の名前は「ノラ」、その名の通り二日前に我が家に迷い込んで来た野良犬だ。

生まれて間もなく捨てられたと思われる彼は、数日前から近所の周りを徘徊していたが、我が家の愛犬「パク」の餌を目当てに、我家の玄関にやって来て離れなくなった。彼は、柴犬のの血筋を引いているらしく褐色の毛並みで、口先が黒く、人懐っこい眼が愛らしい大層元気な犬だった。我々の姿を見ると、飛び跳ねて喜んでいたものの、当時我家では到底二匹も飼えないため止む無く保健所に電話したのだった。そして、その日の内に彼は、その関係の車に乗せられ連れて行かれたのである。

我々夫婦は、それから夕食時を含め殆ど言葉を交わさなかった。二人共、連れて行かれた時の「ノラ」の悲しそうな眼が脳裏から離れず、後悔の念から言葉が出なかったのである。その挙句、翌朝互いに眠れない夜を過ごした2人の出した結論が、『よし!もう一度「ノラ」を引き取りに行こう!』だった。早速保健所に連絡し、指定されたくだんの動物愛護センターに赴き、始末書を書き狂犬病の予防注射の代金を支払い、彼を受け出した?のである。

その後目出度く、犬好きの埼玉県川口市にある取引先が彼を貰ってくれたので、大変助かったが当初は餌を運んで彼との再会の機会を窺ったものだ。それから暫くして、その取引先が倒産して音信が途切れたものの、風の噂で栃木県那須ではぐれた「ノラ」が、一週間かけて舞戻って来たと聞いた。やっぱり我々夫婦が見込んだ通り、賢い犬だったのだ。今ではもう寿命が尽きているだろが、我が国もドイツのように捨て犬や猫の保護シェルターを作って、"殺処分"0の時代が来れば良いと、毎日そこを通る度に思う私である。 さくらさ.JPG

                【海上自衛隊下総航空基地の沿道の桜は未だ5分?咲き】

年度末の東京株式市場の日経平均株価の終値が、1万1,089円となり一昨年度末と比べ40%近く上昇した。上昇は、3年振りにの事であるが、未だ「リーマン・ショック」前の水準には届いていない。我々の業界では、景気が浮揚したという感覚はなくて「第二次補正予算」や「セーフティネット」の執行に依って何とか持っている?という感じである。果たして、全てに頼りない民主党政権化、株価は今後上昇して行くのだろうか?

そんな中今日、4大生保の一つである「第一生命保険」が、相互会社から株式会社に転換し、東京証券取引所1部に株式を上場した。100万人を超える株主が一度に誕生し、上場時の時価総額が1兆4000億円に上る大型上場案件とあって、低迷する株式相場の起爆剤になるとの期待もあるようだ。東証は売買注文の殺到による混乱を避けるため、初日の売買を13時の板寄せ方式で初値が決まる(一本値方式)特例措置を導入した。記憶を辿れば、この規模の大型上場は1998年10月のNTTドコモ以来の筈である。

この方式に依ると13時以降しか初値が判らないと言う事だが、たった今入った証券会社の情報によれば、恐らく154,000円位で寄り付くだろうとの事だった。大きな声では言えないが、実は私にも10株ほど割り当てが回ってきた。少ない小遣いから貯めた資金で購入したので、祈る思い(●^o^●)で今後の株価推移を見守って行きたいと思っている。
  250px-Daiichi.jpeg

【1938年に建てられた本社屋である東京・日比谷の「第一生命館」は、皇居が見渡せるとしてマッカーサーが、1945年に連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収した】