02
Oct

10月2日(金)  ≪12万年前?の"旧石器文化"と相沢忠洋≫

島根県出雲市の砂原遺跡で、12万年前ごろの日本最古とみられる旧石器20点が見つかった。旧石器をめぐっては、かって「神の手」と呼ばれた研究者が60万年前にの遺物などとでっち上げた2000年の発掘捏造事件で大半の出土例が否定された。従って入口遺跡(長崎県平戸市、約9万年前)や金取遺跡(岩手県遠野市、9万~5万年前)が、日本最古だとされてきた。今回の発見は、少なくともそれらより3万年さかのぼるため日本列島での人類の起源を見直すきっかけとなり、一旦後退した旧石器時代の研究に弾みが付けそうだ。

見つかった石器は、石英や流紋岩などで作られた長さ約5~1・5センチの物が殆どで、地表面から2メートルほどの深さにある約12万7千年前に形成された地層「砂れき混じりシルト」の上部から出土された為、調査団は約12万年前のものと判断したらしい。遺跡の発掘には、時間と根気とそして労力が欠かせない。かって縄文以前の土器を持たない旧石器文化が我が国にあった事を立証したのは、在野の研究者相沢忠洋だった。

彼は納豆などの行商をしながら独学で考古研究を行っていたが、1949年(S24)に群馬県みどり市笠懸町岩宿の岩宿遺跡から旧石器(黒曜石の槍先形石器)を発見し、それまで否定されてきた日本の旧石器時代の存在を証明した。しかし、当時この重大な発見について、学界や報道では相沢の存在はほとんど無視された続けた。明治大学編纂の発掘報告書でも、彼は単なる調査の斡旋者として扱われ、代わりに旧石器時代の発見は、すべて発掘調査を主導した杉原荘介の功績として扱われたのだ。

しかし彼の考古学への情熱は冷める事はなく、地道な研究活動を続け、その後も数多くの旧石器遺跡を発見した。「天網恢恢疎にして漏らさず」とはよく言ったもので、次第に相沢への不当な扱いは見直され、日本の旧石器時代の存在を発見した考古学者として正当な評価がようやく下された。そして、その功績により1967年(S42)には吉川英治賞を受賞したのである。

片や今朝の新聞で、440年前の人類最古の猿人の全身骨格がエチオピアで見つかったとの報道がなされていた。440万年とは天文学的な数字で、いかにも人間としての浪漫を感じるが、果たして相沢が生きていたら何と言って喜んだだろうか? 200px-Iwajuku_Museum_01.jpeg

                               <相沢忠洋が発見した石器が展示されている「岩宿博物館」>