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4月24日(金)      ≪「虫の知らせ」とドクロの絵≫

毎年4月になると、4月10日生まれの彼の事を想い出す。彼の名前は鈴木栄治君、生年月日がワイフと全く一緒なので、私より一つ年下である。彼は、今から20数年前の或る夏の日、三重県鈴鹿市の路上でトラックと正面衝突し亡くなってしまった。彼は、私が学校を卒業して商社に入社した時には、既に業務部に在籍していて会社では先輩である。私が、"鈴木さん!"と「さん」づけで呼ぶと、『藤本さん、私は貴方より年下なんだから"鈴木君"と呼んでください』と言うほど生真面目な性格の青年だった。

当時彼は、板橋区の成増の実家に住んでいたので、近くの高島平団地に住んでいた私たちの家にしょっちゅう遊びに来てくれた。今でも、ワイフが作った食事を"美味しい、美味しい!"と言って食べてくれたことを想い出す。彼は、建設機械の営業を志望し私の課に配属されたが、或る飲み会で私の先輩が彼をからかったことから、先輩とかばった私が殴り合いの喧嘩となりそれから彼と親しくなったのである。彼は、イラストレーターを目指し一度会社を辞めたらしいが、私が入社する前に復職したらしい。当時私たちのアパートの壁には、彼が描いた"ドクロの目に弓の矢が貫通しているユニークな絵"が掛かっていた。

その後、私は九州福岡に転勤し、そして彼も三重県鈴鹿の営業所に転勤した。それから暫くしてして、私は久し振りに彼と話したくて或る夏の朝、彼の事務所に電話してみた。帰ってきた言葉が『鈴木さんは、昨晩交通事故で亡くなりました!』だった。これが「虫の知らせ」と言うものか?、それは、私にとって痛恨の極みであった。私は、支店長の許可をを得て、とるものもとりあえず鈴鹿に向かったのであるが、第1子を出産したばかりの奥さんとの久し振りの対面は筆舌に尽くしがたいものであった。

髑髏.JPGその後、ドクロの絵を壁から降ろしたのは言うまでもない。