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2月20日(金)    ≪長嶋茂雄氏≫

WBC宮崎キャンプの来る21・22日の巨人との練習試合に、同球団の終身名誉監督である≪長嶋茂雄氏≫が訪れる予定になり、更なるヒートアップが懸念されるとのスポーツ新聞の報道があった。≪長嶋茂雄氏≫と言えば、皆さんご承知の通り選手・監督時代を通じて"ミスタージャイアンツ"の愛称で、巨人ファンならずとも大変人気を博した人である。

1936年(S.11年)生まれの73歳で、2004年に脳梗塞で倒れてから必死にリハビリで社会復帰を果たしたことは余りにも有名だが、今の子供たちは息子さんの「長嶋一茂氏」は知っていても彼の選手時代の勇姿は知る由もない。アンチ巨人の私でも、入団した年の1958年(S.33年)の当時国鉄スワローズの金田正一投手から喫した4打席4三振や1959年(S.34年)6月の天覧試合に阪神タイガースの村山実投手から放ったサヨナラ本塁打は勿論のこと、華麗な守備や派手なアクションは鮮明に覚えて居り、歴史の傍観者として時代を共有できたことは大変ラッキーだったと思う。

実は私、彼と一度だけ真近で接したことある。それは今から約30年以上前の1977年頃?東京読売カントリークラブでの或る会のゴルフコンペに参加していた私の2組前で、第一次監督時代(1975~1980年)の彼が、プレーしていたのである。たまたま、私たちのパーティに当時巨人の守備走塁コーチをしていた黒江透修(ゆきのぶ)氏が居り、詰まったホールで彼と行き合った黒江氏がまるで神様に接するが如く話している姿を見て、驚くと同時に私たちも大変緊張したことを覚えている。ところが、彼はそんことは一向に意に介さずコースを熟知しているためか私たちにも気軽に声を掛けてきて、そのコースの特徴を教えてくれたため幸運にも彼の人間性の良さを垣間見ることができた。

プレー後のクラブハウスに彼が茶のジャケットにベージュのチェックのズボンをはいて現われた時は、正に神々しくオーラを感じたことを今でも鮮やかにに覚えている。彼が1974年(S.49年)に引退セレモニーで、「我が巨人軍は永久に不滅です」とスピーチしたことは余りにも有名な話である。

私も、この会社から身を引く時に『我がビー・トライは永久に不滅です』と言えるかどうか・・・?

長嶋.jpeg                       (第二次監督時代の≪長嶋茂雄氏≫)