1月15日(木) ≪ハワイ・オアフ島≫
昨日(14日)の午後≪ハワイ・オアフ島≫から帰ってきました。ハワイは、私が最も愛する海外の観光地で、今回は3年ぶり6回目の訪問です。残念ながら、持参したノートPCのインターネットの接続がうまくいかず、ブログが送れなかったために2日間この「藤やんの散歩道」を休んでしまいました。何と言っても気候が良く空気が澄んでいて食べ物もそこそこ美味しく、ゴルフ場も近くに豊富にあると言うのが魅力です。孫も一緒だったので、年甲斐もなく水着を買い込んで数年ぶりに海やプールも楽しんで来ました。
しかし、6回も行っていて1ヶ所だけ行ったことがないところが私には有ります。それは、1941年(昭和16年)12月に日本軍が「ニイタカヤマノボレ」の暗号のもと、奇襲攻撃した「真珠湾」です。つい最近までアメリカ人が、日本や日本人を称して『リメンバー、パールハーバー』や『ジャップ』と呼ばれる原因となった奇襲作戦だったからかもしれません。
この島には、その当時多くの日系人が暮らしていました。キャプテン・クックが1778年にハワイ島を発見した約100年後に日本からの移民が始まり、多くの日系人が漸く主要な地位を占めるまでになった頃に、日本とアメリカの戦争が始まったのです。沖縄もそうですが、「太平洋戦争」では暖かく現在観光地として有名を馳せている場所が、戦禍にまみれ多くの犠牲者を出したのです。クラシック音楽をこよなく愛した私の叔父もその一人で、ボルネオから戻ってくることはありませんでした。(尤も、戦後生まれの私は彼のことを知る由もありませんが)
戦争では、人間を沢山殺した人が表彰されます。愚かなことに、今でもイスラエルがパレスチナ自治区ガザを攻撃して1000人ちかくの人々が亡くなっているそうです。何故か、楽しかった余韻に浸りながら「地球上で戦争が無くなる日がくるのだろうか?」そんな事を考えながら、私は成田空港に降り立ちました。このギャップは何だったんでしょうか?
(シェラトン・ワイキキホテルのプールからダイヤモンドヘッドを望む)



