11月14日(金) ≪銀座慕情≫
東京都中央区の"銀座"は、我が国を代表する一大繁華街であり世界の有名ブランド店がしのぎを削る流行の発信地である。当地は、関東大震災と第二次大戦の爆撃で2度も瓦礫の山と化す苦難を乗り越え、1丁目から8丁目まで地元関係者の努力もあって見事に復興をなし遂げた。
♪昔懐かし銀座の柳、と歌に残る柳は枝が伸びると車の交通の支障をきたすと切り払われ、都電の敷石も歩道として再生し、その姿で当時を偲ぶのみとなった。私が先ず"銀座"を初めて意識したのは、1958年(昭和33年)に神戸一郎が歌ってヒットした「銀座9丁目は水の上」という歌である。当時九州福岡に居た小学生の私は、水の上で何が行われているのだろうか?と想像を逞しくした覚えがある。
次に、記憶があるのは親父の転勤で既に東京で暮らしていた高校生当時の1963年(昭和38年)頃、バンの石津謙介が流行をもたらしたアイビー(IVY・植物の蔦の意味)ルックの学生達がみゆき通りを中心に紙袋を抱えて屯した時代である。昭和40年に高校を卒業した私も同じような身なりをして、下手なフォークソングを歌ったものである。
社会人となり丸の内の商社に勤めた私は、先輩社員に連れられ"夜の銀座"をしばしば垣間見るようになった。挙句の果てに、生意気にも当時銀座6丁目付近にあったC&C会館4階の<クラレンスクラブ>の会員となり、"夜の銀座"を闊歩するようになった。C&C会館は成田観光という会社が経営する確か7階建のビルで、当時としては珍しく階ごとに日本料理屋は勿論のこと、バニーガールがいるクラブやバー、美人揃いの高級クラブやサウナなどもあり、どの階も会員であれば自由に利用できたのである。
友人や会社の同僚たちと徒党を組んで、C&C会館を中心に"銀座"を飲み歩いた私の末路はお決まりの〘資金ショート〙で、銀行からお金を借りて全額弁済し、銀行にも1982年(昭和57年)の九州転勤前迄に払い終えたのである。今でも、様変わりした"銀座"を歩いていると当時の甘い思い出とほろ苦い思い出が交錯し、何とも表現しがたい気分になる今日この頃で ある。
(紅葉が綺麗な季節となりました)



