≪わが心の故郷・・福岡/そして中洲の思い出≫
ほぼ1年ぶりに昨日から福岡市に来ている。
そもそも私は、今からウン十年前?に福岡県飯塚市で生まれたれっきとした九州男児である。親父が当時の三菱鉱業・いまのマテリアルに勤めていた関係で、県内のいくつかの炭鉱町を転々とし、最後は福岡市で少年期を過ごした。
昭和28年前後の炭鉱町は朝鮮戦争に支えられ、大変な賑わいぶりだったが、その辺りの話は朝まで語る事になりそうなので、改めて別の機会に書くことにする。
福岡市は、北は玄界灘に望み、海ノ中道と糸島半島よって仕切られた博多湾を擁し、南は背振(せふり)山系、東は三郡山地に囲まれた比較的温暖な半月型の平野である。
博多湾に注ぐ川の一つに那珂川という川があり、その東を通称博多(今は博多区のみに地名を残す)、その西を福岡といっていたが、その昔、博多は商人の町であり福岡は城を中心とした武家の町であった。JRの駅名が『福岡』でなく、『博多駅』だが、県庁所在地の中で市の名前を使用していないのは確かここだけではないだろうか?
人口約143万人、1000人/km2以上という人口密度は3大都市圏に次ぐもので、那珂川の河口に形成された文字通り『中洲』は西日本随一の歓楽街としても有名である。
私は親父の転勤で中学2年の時に福岡を離れたが、その後社会人になって昭和57年から62年まで再び福岡に住むことになった。
当然の事ながらその当時始めて『中洲』の何たるかを知る訳であるが、その5年間の中で2度ほどいつも払うばかりの『中洲』からお金を貰ったのが唯一、私の福岡時代の自慢である。
それは中州祭りの際のカラオケ大会で、3人一組のグループ同士が得意の唄を1フレーズづつ歌うカラオケ合戦が繰り広げられるが、私は性懲りも無く出場した2年間で、連続して入選(初年度は2位、次の年は3位)し、数万円の賞金を手にしたのである。
一緒に出場した後の二人が飛びぬけて上手かった(現在1人は中洲のスナックのママ、もう一人はしがないサラリ―マン)のは言うまでも無いが、その日 は、嬉しくて賞金を大盤振る舞いしながら朝まで飲み続けた挙句、大散財して女房にこっぴどく文句を言われたのも今では、良い思い出かもしれない。
しかし、その5年間で悔いが残る事が1つある。
博多の『ドンタク』に並ぶ2大祭りの『博多祇園山笠』の"追い山"を一回も見なかった事である。
重さ2トン超の『山』を、締め込みの男たちが櫛田神社から数キロの道を担いで競争するという勇壮な祭りだが、スタート時間が確か午前4時ちょっと前で、毎年「見るぞ!」と意気込んで早寝するものの、起きれた試しが一度もなかったのである。
今であれば1年365日、早寝しなくても自分で起きることができるのは、言うまでも無い・・・。




